Monday, May 9, 2016


長男の苦しみ (6)



長男が4年生を終えて卒業する20103月には、大学のサッカー部の状況がさらに悪化していました。それが、ますます日本サッカー界には受け皿がなくなったことを認識させ、また、プロサッカー選手になる夢も絶望的となりました。長男が東京ヴィルディと出会ってから、約5年半の月日が過ぎましたが、出会ってからすぐに差別的な見方をする指導者に出会い、辛くて惨めな1年半を過ごし、その後、ヴィルディが勧めた大学で、『いじめ』などの辛くて惨めな4年間を過ごしました。この約5年半の間、東京ヴィルディの責任者の事実と異なる発言や約束、騙しや差別や怠慢な対応などに振り回されてしまいました。長男にとっては最悪の出会いで、最悪の結果になってしまいました。

就職活動を続けていた長男は、日本全体の悪い経済状況と、知名度の高くない大学の卒業者ということ、そしてカタカナでしか書かない名前の人間として、就職するにはさまざまな困難がありました。しかし、大変幸いなことですが、長男は小さな規模の貿易会社に働くようになりました。現在、初心者として、低収入ではありますが会社や自分のために、苦しみながらも東京で一生懸命頑張っています。

私は元サッカー選手として、人間として、そして父親として、長男のその結果を見ると非常に悲しくなります。もし、長男が東京ヴィルディと出会わなければ、間違いなく彼はそのままエジプトで生活していました。長男がもしエジプトで生活していた場合、今頃どうなっていたのかを想像しました。長男は、エジプトでレベルの高いケンブリッジ大学の姉妹高校に通い、エジプトサッカーの17歳以下の代表候補でした。もし、エジプトで何らかの理由でサッカーができなくなってしまっても、高いレベルの教育を受けているため、良い将来に繋がった可能性が高かったと思います。私がなぜそう思うかというと、長男と一緒にエジプトで同じ高校へ行った長女のことが頭に浮かんだからです。

2002年に長男と長女は一緒にエジプト行きました。しかし、一時帰国した時に長男は東京ヴィルディと出会い、姉をエジプトに残して日本に帰国しました。長女はその後、エジプトの高校を卒業して、エジプトの一流カイロアメリカン大学の政治学部に入学しました。4年後、無事大学を卒業し、修士課程のためイギリスのロンドン大学に入学しています。修士課程を修了した後、日本に帰国して、差別をされず日本人として、憧れていた国家公務員として現在勤めています。もし、長男がエジプトでの生活を続けていたら、サッカーが出来なくなっても、姉と同じような教育を受けて、姉のような仕事ができたと確信しています。

ここまで長男と東京ヴィルディとの苦い出会いを具体的に述べましたが、この苦い出会いが長男の将来には、強くて悪い影響をもたらしてしまいました。この出会いにより、彼の将来は大きく変化してしまいました。そしてそのことが、私達一家に悲しく暗い雰囲気をもたらしてしまいました。エジプトにいる私の兄弟やサッカーの仲間達、エジプトサッカー界のたくさんの関係者が長男のことを大きく期待していたため不満足であり、それと同時に大きなショックを受けました。

最後になりますが、この文書で述べたこと全てを確認するための証拠が揃っています。


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