Monday, May 30, 2016

次男の苦しみと悲しみ(16)名門クラブの、「嘘」や「騙し」、「人種差別」や「権利の乱用」の5年間がもたらした影響を抱えながら、新たなスタート

その後、東京マネジメント会社はヴェルディ側と交渉を行い、人材育成金の分割払い方法に関して話を進めていきました。ヴェルディ側は、その分割払い方法には賛成したのですが、支払いについて次男と直接約束を結ぶという厳しい条件をつけてきました。東京マネジメント会社やチェコのクラブと結ぶでもなく、次男自身と約束を結ぶということになったのです。しかし、どうしても移籍したい一心で、仕方なく東京マネジメント会社も次男も私もヴェルディのこの条件に同意しました。同意後、ヴェルディがその支払い約束を正式な文書にし(添付4参照)、次男はそれにサインを行いました。これで、次男が正式にヴェルディからチェコのクラブへ完全移籍することになりました。ヴェルディでの苦しい5年間の生活が、このような形で終わることとなりました。

 15歳という若さで夢と希望を持って、純粋な精神で「田舎」の沖縄を出て、東京ヴェルディと出会ってしまいました。この出会いで、サッカー選手の次男にとって大事な5年間を失ってしまいました。この5年間で、日本とエジプト両方のサッカーの才能を持っている次男は、さまざまな結果を残すはずでした。しかし、実際にはさまざまな悪いことばかりでした。最低な教育を受けさせられたこと、17歳の若さでヨーロッパにプレーするチャンスを逃したこと、怪我を悪化させられたこと、その怪我の治療のために借金ができてしまったこと、実力を証明出来ないよう試合に出場させられなかったこと、ヴェルディから移籍をする際、高い人材育成金の条件を付けられたことなど、悪いことばかりでした。私は、次男がヴェルディで過ごした5年間が、これからの彼の人生にどれくらい影響をもたらすのかと、絶えず心配しています。私は元サッカー選手として、プロサッカー選手になるまでの道のりは平坦ではないという事実はよく認識しています。さらに、プロサッカー選手になった後でも、この道のりはでこぼこであるという事実もよく分かっています。しかし、ヴェルディでの次男の道のりはでこぼこではなく、「嘘」や「騙し」、「人種差別」や「権利の乱用」などの道のりでした。これらのことは一般社会によくあっても、スポーツ界には一切あってはならないことです。


2009年シーズン


20092月、次男はチェコの1部リーグの「FKテプリツェ」というクラブへ完全移籍のため、チェコに向いました。FKテプリツェへ移籍後、マスコミの報道によると、次男は試合に出場し、チームの勝利に貢献していました。離れた日本にいる私達家族は喜びながらも、まだ二十歳になったばかりの次男が、生まれ育った日本と全く違う環境でどう向き合っていくのか、若干気になっていました。

ずっと次男がプレーしている姿を見たかった私は、直接プレーしている姿を見るため327日から47日までの11日間の日程で、1人でチェコへ向かいました。ちょうどその時、ヨーロッパ各国でのサッカーリーグの後半が始まったばかりでした。

 「FKテプリツェ」というクラブは、東ヨーロッパのチェコ共和国のクラブです。首都「プラハ」よりバスで約1時間の離れた「テプリツェ」という小さな田舎町に位置しています。私はこの小さな町に着いてから、クラブのホームスタジアムを拝見させていただき、チームの監督やマネージャーや選手たちと対面することが出来ました。大変心の温まる雰囲気を感じました。さらに、町を案内していただきながら、FKテプリツェというクラブが地元民にとって、名門のクラブだと感じました。また、クラブの責任者からクラブの方針などの具体的な説明を受けました。このクラブはサッカープロチームを2チーム持っており、1つのAチームは、チェコ1部リーグに加盟し完全なプロなチームで、もう1つのBチームは、チェコの4部リーグに加盟して、プロを育成するためのチームでした。私はこの町にいる間は、リーグの後半が始まったばかりでしたが、両チームの2試合ずつを拝見させていただきました。確かに、完全プロの1部リーグのAチームは、レベルの高い選手たちでサッカーのビジョンを持っているチームだという印象を受けました。一方、プロを育成するための4部リーグのBチームは非常に反則や荒いプレーが多く、まさに「アメリカンフットボール」のようなサッカーでした。次男はリーグの後半が始まったからAチームの試合に途中出場し、チームの勝利に貢献しました。さらに、私がいる間に行われたAチームの2試合にも途中出場をし、活躍していました。私がテプリツェの町にいる間、次男が楽しくプレーする姿を久しぶりに見ることができ、次男がサッカーをやっている環境や生活環境などを確認することが出来ました。次男はすでにこの小さな町の人々の愛情に囲まれているような感じを受けました。おもしろいことに、次男のことをその当時ブラジル代表で有名なストライカー「ロナウジーニョ」の名を付けて「日本ロナウジーニョ」と、報道されていました




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