Tuesday, May 24, 2016


次男の苦しみと悲しみ (10)名門クラブの監督及びスタッフの人種差別が始まった!!



20083月、マネジメント会社から私に連絡がありました。その内容は「ヴェルディとの話し合いを行い、結果が出ました。話し合いの結果、息子さんの2008年シーズンの条件とイタリアでの治療費負担の内訳を出しました。両方を文書にしてありますので、それをお父さんに送ります。それについて息子さんの意見も聞きます。お父さんも息子さんもこれでよければ、会社側は息子さんの代理として、正式にヴェルディとサインを交わします。」という内容でした。その直後、マネジメント会社から文書が2(添付2参照)、私に届きました。すぐに次男と連絡を取り、相談しました。その結果は、私も次男もその条件に同意しました。それを私からマネジメント会社に伝え、ヴェルディ側と正式なサインを交わすようお願いしました。

ヴェルディは宮崎キャンプを終えて、東京に戻りました。その後、次男はチームのさまざまな練習試合に出場しました。1年間怪我をしていたとは思えないほど活躍し得点も取りましたが、2月末のある練習試合でひざに軽い怪我をしてしまいました。しかし次男は、リハビリに励んで怪我を治し4月半ばごろには完全復帰しました。4月半ばごろというのは2008年シーズンが始まったばかりで、次男はトップチームのベンチ入りの18人選手ではなく、サテライトチーム(2)のメンバーとして頑張っていました。サテライトチームのコーチが次男の活躍をトップチームの監督にずっと伝えていたが、トップチームの監督が完全に無視していたようです。5月になると、去年(2007年シーズン)ヴェルディでレンタル移籍選手として頑張り、元のチームに戻っていたブラジル人のフォワードストライカーが、元のチームとの間に問題が起きたことで再びヴェルディに億円単位の契約を結び完全移籍してきました。そのこともあり、若手ストライカーである次男は、トップチームのベンチ入りの18人選手にますます入れなくなりました。しかし、次男はがむしゃらにサテライトチームで頑張っていました。

7月に入ると、億円単位の契約でヴェルディに完全移籍してきたブラジル人のフォワードストライカーが、ヨーロッパに移籍することになりました。若手ストライカーである次男にとって、トップチームのメンバーに入るチャンスが来るだろうと私は期待していました。その期待通り、しばらくしてから次男からトップチームのベンチ入りの18人選手に入れた、という連絡が入りました。そのときの次男の嬉しい声が非常に印象に残りました。私は、元サッカー選手として、そして父親として、この連絡を受け安心しました。そして、次男に「監督やマネージャーから何かアドバイスがあった?」と聞きましたが、次男は「誰からもアドバイスや話がない」と、答えました。私はこの次男の返答を受け、ヴェルディの監督やスタッフに対しおかしいと思いました。サッカー界では、若手選手がプロ選手になって始めてトップチームのベンチ入りの18人選手に選ばれたとき、監督やスタッフがアドバイスを行い励ましてくれるのは当然なことだからです。しかし、とにかくベンチ入りの18人選手に選ばれたことは、次男にとっても、そして私達家族にとっても喜ばしいことでした。これから次男が試合のメンバーに入り、そして試合に出場するチャンスが多くなると私達家族は思っていました。しかし8月になると、さらにヴェルディが2年間ヨーロッパでサッカーをしていた元日本代表のフォワードストライカーと億円単位の契約を行い獲得しました。この選手は元日本代表でしたが、ヨーロッパに居た2年間の間に試合に出場した回数がたったの3試合でした。この選手を獲得したことにより、次男が試合に出場するチャンスが低くなってしまいました。しかし、次男がサテライトチームで頑張っていました。



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