Friday, May 13, 2016


次男の苦難の始まり

2007年シーズン


2007年のシーズンが始まる前に、トップチームの健康診断が1月に行われました。次男にとってプロサッカー選手としての初めての健康診断でした。その診断の結果、次男はグローインペイン症候群(恥骨結合炎)という怪我をしていると診断されました。この診断により、サッカーゲームへの復帰は最短で3ヵ月、場合によっては6ヵ月程度かかると医師に診断されました。そしてこの診断で、怪我をしたのは半年以上前に、次男がユースでプレーしていた時の怪我だと、判明しました。私は元サッカー選手ですので、怪我に関する知識があるため、その話を聞いて驚いたと同時に大きなショックを受けました。このような怪我は、サッカー選手によくある怪我ではありますが、なぜ半年以上経っても次男の怪我は治らなかったのかと思いました。そして、半年以上前の怪我であれば、なぜ次男がずっと怪我を抱えたままユースの試合に出されていたのかを不思議に思いました。このことがあり、私自身がヴェルディに対して、さらに不信感を持つようになりました。

 2007117日に、ヴェルディの強化部長から私に連絡が入りました。それは「息子さんの怪我のことで沖縄に行って、お父さんに説明をしたい」という内容でした。この連絡を受け、どうしてヴェルディの強化部長がわざわざ沖縄に来て怪我の説明を行うのか、私は不思議な気持ちと不安な気持ちでいっぱいでした。

 121日、ヴェルディの強化部長が沖縄に来ました。私と妻は沖縄の那覇空港で、強化部長に会いました。しかし、そこでも私や妻にとって「謎だらけ」でした。まず、強化部長が昼の便で沖縄に着いて、午後の便で東京に戻るということだったので、私や妻と話す場所は那覇空港内の喫茶店でした。そこで、強化部長からヴェルディの医師が発行した、次男の怪我についての診断書を頂き、怪我に関する具体的な説明も受けました。ヴェルディの医師の診断書(添付1参照)には「中田選手なども経験したサッカー選手特有の障害。治療の原則は安静・リハビリ」と、記載されていました。また、強化部長から受けた口頭での説明では「半年前の20068月に、息子さんはユースで活動しているとき股関節の痛みが出始めた。本来ならばそのときに2週間休んでリハビリを行っていれば痛みはなくなっていたはずですが、ヴェルディのメディカルスタッフは休みを与えず、そのまま試合や激しい練習をさせてしまいました。メディカルスタッフの説明では、恥骨結合炎は休んで治る怪我ではなく、試合や練習を行いながら治る怪我なので、休まなくても良いことを息子さんに説明し、息子さんはその言葉を信じて試合や練習に参加していました。しかし、次第に怪我の状態が悪化していき痛みはどんどんひどくなっていきました。それにも関わらず、メディカルスタッフは息子さんを休ませなかった。そしてさらに、怪我の状態を調べるためのレントゲン検査を、半年の間に1回しか行っていませんでした。その後、息子さんはトップチームに入り、2007110日のトップチームの健康診断の時に初めて怪我が悪化していることが判明しました。ヴェルディ側は怪我の全ての責任をもって一日も早く治るように、健康診断を行った日からリハビリと治療を始めています。必要であれば、ヴェルディ以外の医師にも診断してもらい、対応します。とにかく、今は3ヵ月~6ヵ月の間には復帰して、試合に出られるようにします。」という内容の説明を、強化部長から受けました。

 その話の後に、強化部長が私と妻へ次男の高校卒業式への参加とヴェルディの開幕戦観戦のために、沖縄東京往復のオープンチケットを2枚買ってくれました。そして部長は東京へと帰っていきました。3時間だけの沖縄滞在でしたが、私達には「謎だらけ」でした。




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