長男の苦しみと悲しみ (3)
1年生から特待生という意識のもと、長男は勉強もサッカーも一生懸命頑張っていました。しかし2年生になった時、長男の様子がおかしいと感じ始めました。離れた沖縄に暮らしている私が、長男の本当の状況を想像出来ないため、彼には何度も連絡を入れて、しつこく聞きました。すると、長男は泣きながら、サッカー部の監督とチームメートの一部に『いじめ』られているということを私に話したのです。私が大変驚いたのは、『いじめ』られていることよりも、長男が泣いていることでした。というのは、私の子ども達(長男、次男、長女)は、沖縄での小・中学校時代に、サッカーでもいろいろないじめや差別などをされてきましたが、それでも全てのことに強く、たくましく乗り越えてきましたし、自分の存在感を示すことが出来たからです。
長男の話を聞いてみると、彼が泣いたのは、決していじめに弱いからではなく、また、チーム内の競争とかポジションの争いでもありませんでした。ただ、本人が特待生として学費を免除されていることや、奨学金を受けていることで、チームメートにいじめられていたのです。練習中や試合中に、攻撃選手としてチャンスを外すと、監督にもチームメートに『お前は本当に元ヴェルディの選手だったのか。なぜ、こんなに特別な扱いをされるんだ!』と、よく言われていたようです。私は長男に「これくらいのこと、我慢できないのか」と聞くと、長男は「最近から言われているのではなく、1年前からほとんど毎日言われている。お父さんには、報告しなかっただけ。」と、答えました。言われ続けてきたいじわるな言葉に対して、激しく見返すことや強く返事することをできる十分な力と知識を、長男は持っていました。しかし、それをしてしまうと、特待生の扱いを受けられなくなることと、卒業後ヴェルディに再び入団できなくなることを、長男は心配していました。このことを心配して、長男はチームメートと監督に自分の意見や反撃が出来なかったのです。こういう状態を1年以上ずっと我慢していたことによる精神的ストレスで、肺活量が減り、練習や試合であまり走れなくなっていました。体調不良により試合に出られなくなり、Bチーム(2軍)に回されることが多くなっていきました。
離れて暮らしている私は、そういった話をあくまでも長男だけからしか聞いていなかったので、実際の状況を自分の目で確認するために監督に会いに行く決心をしました。
2007年6月15日、監督に会うため埼玉県に行きました。そこで、監督と会って、長男の状況を確認しました。まず、監督と会って私が話したことは、長男が大学に入学するまでの話です。例えば、長男が沖縄でサッカーを始めたことや、エジプトでプレーしていたこと、そしてヴェルディに入団したことなど全ての背景を改めて話しました。そして、長男から聞いた『いじめ』に関する話や本人の立場全てを監督に話しました。私の話を聞いて、監督はいろいろな話をしてくれました。
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