次男の苦しみと悲しみ (8)名門クラブの新たな疑惑が始まる
12月15日に東京へ行き、ヴェルディの強化部長といろいろな大事な話をしました。その話の内容は、次男がイタリアでの治療を終え帰国した後、ヴェルディが次男の強い体をつくり、二度と怪我をしないように努めること、そして来季(2008年)次男との契約を更新すること、年俸は2007年と同じ360万円とすること、今まで通りヴェルディの寮で生活を行うこと、そしてさらに、イタリアでの治療費を計算し、ヴェルディの取締役に検討をしたのち、次男とヴェルディ両者の負担分を決定することなどでした。また、2008年シーズンの次男の試合の出場についても、以下のような説明がありました。
まず1つ目は、フォワード陣について2007年シーズンで大活躍しJ1昇格に貢献した2人のブラジル人選手の内、1人はそのままヴェルディに残るが、もう1人の選手はレンタル移籍の選手だったため、元のクラブチームに戻り、また、何名かの選手が移籍することによりフォワード陣が2人しか残らないこと。そして2つ目は、残ったその2人のフォワード陣と若手フォワードの次男を含めて3人になりますが、3人のフォワードだけではJ1で戦うことができないので、さらにストライカーの2人(1人は外国人、もう1人は日本人)のフォワードを獲得する計画があること。3つ目は、ストライカー2人のフォワードを獲得し、フォワードが5人になりますが、その中でも次男の順位は5位であること。4つ目は、J1の試合数は34試合あるので必ず次男が試合出場の出番があると考えられるが、もし、万が一シーズンの半ばごろ(7、8月)までに次男の出番がなかった場合、ヴェルディは次男が試合に出られるような他のチームを紹介し、レンタル移籍をさせたいと考えており、これで良ければ後でこの説明したことを文書にして送りたいということでした。
以上の説明を強化部長から受け「イタリアにいる次男に伝えて、検討したい」という返事と、東京マネジメント会社とマネジメント契約を結ぶ考えがある、ということを強化部長へ伝えました。それに対し、強化部長は賛成しました。その後、東京マネジメント会社の社長に会いに行きました。
東京マネジメント会社の事務所で、社長と2人のスタッフに会いました。社長からイタリアで治療を受けている次男の状況を聞きました。そしてさらに、会社として次男のために考えていることや計画などについての説明を受けました。私からも、次男がプロサッカー選手としてまず日本で実績を作って欲しいということを伝えました。そしてヴェルディの強化部長から先ほど聞いた次男に関する来シーズンのヴェルディの条件についても伝えました。これに対し東京マネジメント会社の社長からは「あくまでもこのヴェルディの条件は口頭約束ですが、息子さんについては帰国後検討を行い、ヴェルディに正式な文書を書いていただきます。今は焦る必要はありません。」という話がありました。その後、私は次男の代理として、この会社と2007年12月1日に「選手マネジメント契約」を結びました。その日から、次男とヴェルディとの間には、第三者の東京マネジメント会社の役割が正式に始まりました。これで、私が次男のことをヴェルディと東京マネジメント会社に任すことになりました。その後、両者が次男のことをどう扱うかを心配しつつ沖縄へ戻りました。
次男は12月22日、無事に帰国しました。怪我も完全に治り、サッカーに復帰出来る状態にまで回復していました。しかし、次男が帰国した時にはすでにシーズンが終っていたため、チームの練習は休みに入っていました。次男はイタリアで受けた指導と指示の通り個人でトレーニングを続けました。
次男が元気に帰国したことは、私にとって大変嬉しいことでした。しかし、次男の怪我はなぜ日本では治らなかったのかという、ヴェルディに対する疑問や不安が出てきました。日本では、1月10日から9月20まで8ヵ月以上にわたり治療を行っていましたが、完全に治りませんでした。しかし、イタリアでは、9月21日から12月21までの3ヵ月で完全に治り、復帰出来る状態にまでなっていました。それはなぜでしょうか。次男は本当にイタリアにまで行く必要があったのでしょうか。日本国内に、この怪我を治してくれる医師が居なかったのでしょうか。それともヴェルディの「ケアの不十分」だったのでしょうか。いずれにせよ、次男のプロサッカー選手1年目(2007年)は、怪我との戦いの1年でした。
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