Wednesday, May 4, 2016


長男の苦しみと悲しみ(1)




長男はヴェルディに入団した20048月、179ヵ月だったことで、ユースの登録の対象になりませんでした。結局、トップチームに入りトップチームと練習していました。しかし、ヴェルディ側は、長男の立場を明らかにしませんでした。

長男との契約の話は全くなく、また、練習生としての扱いの話もありませんでした。ヴェルディに2人の息子を預けた以上、ヴェルディを信じていたし、長男の置かれている立場のことを一度も聞くことはしませんでした。長男本人もこのことを気にしないで、とにかく、自分が大好きなサッカーをプレー出来る環境があれば良いと思っていました。

長男がヴェルディに入団してしばらく経った10月頃、ヴェルディの責任者が沖縄地元のクラブチームとの用事で、沖縄を訪問しました。そのとき、私もこの責任者に会って、当時私が外部コーチとして指導をしていた琉球大学付属中学校のサッカー部の練習に参加していただきました。その後、その責任者を私の家に招き、いろいろな話をしました。その時にもヴェルディでの長男が今、どのような立場にいるのかについての話はありませんでした。私がなぜ、長男の置かれた立場について聞こうと思ったかというと、ヴェルディの責任者が私に驚く話をしたからでした。それは、ヴェルディのトップチームのスタッフが、チームの攻撃力を強化するために、私の長男と次男、そしてもう1人の若い選手(この選手は、現在イタリアのセリエAで活躍している)の3人のメンバーを中心に考えていると言うのです。そしてさらに、責任者が私にこんな質問をしました。「お父さんはこの3人の中で、長男のポジションはトップの方が良いですか、それともトップの下の方が良いですか、どちらが良いですか?」

長男の置かれている立場については聞かなかったものの、ヴェルディの責任者から、こんな嬉しい話しを聞いた私は、2人の息子をヴェルディに任せてよかったと思いました。その後、ヴェルディの責任者から聞いた話しを妻に話して、夫婦2人で大喜びしました。しかし、その後いくら時間が経っても、サッカー選手として、長男の名前は挙がりませんでした。私たちがヴェルディの責任者から聞いた話は、事実とは異なっていたのです。残念なことですが、長男にとってヴェルディにはサッカーをできる場がありませんでした。1年半を通して長男は、どのサッカー選手と同じように、怪我をする時もあれば、良い状態の時もありました。しかし、長男は一度も練習試合や公式試合に出場したことがありませんでした。その原因は、後から明らかになったのですが、当時トップチームの若手選手の日本人コーチは、外国人選手やカタカナで名前を書く選手に対する「差別的」な人間だったのです。この事が明らかになったのは、このコーチがヴェルディを辞めた後の事でした。このコーチはヴェルディを辞めてから、J1(1部リーグ)のあるクラブチームの監督になりました。そのクラブチームのエースストライカーの2人の選手は、ずっとこのチームで活躍していましたが、このコーチが監督に就任してからは、この2人の選手は試合に出場しなくなりました。その2人の国籍を見ると、1人はブラジル人で、もう1人は日本に帰化した「元」外国人でした。コーチの差別的な見方が、その後クラブ内で様々な問題を引き起こし2人の選手は移籍、チームはJ2(2部リーグ)に落ちてしまったのです。


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