苦難の始まり
結婚後、3年以内に長女と長男と次男の3人の子どもが産まれました。元サッカー選手である私は、息子2人にサッカーをさせたいという夢がありました。それを実現するため、息子2人の成長を見極めながら、サッカーの練習をさせていました。息子2人は、サッカーに対する興味と才能を持っていました。2人が小学生になると、沖縄県のトレセン(県代表)に選ばれました。2人は中学生になっても、同じように沖縄県のトレセンに選ばれました。
2002年に中学校を卒業した長男は、日本の高校に入学したものの日本以外の国でサッカーをプレーしたいということで、私のふるさとであるエジプトへ行くことを考え始めました。そしてその年の8月、私の長男と長女は2人でエジプトへ行くことになったのです。2人はエジプト語(アラビア語)を知らないため、エジプトにあるイギリスのケンブリッジ大学の姉妹高校に入学しました。それと同時に長男は、私が以前所属していた鉄道クラブU-17のチームに入団しました。
一方、次男は、中学生のとき九州選抜やナショナルトレセンに選ばれ、沖縄県大会で優勝しました。この優勝により沖縄県内の高校や宮崎県の高校、そしてアビスパ福岡クラブや東京ヴェルディなどからオファーがありました。なので次男は中学校に在学中に、オファーがあった全てのチームの練習へ参加していました。その中でも、東京ヴェルディの担当者の甘い話と上手な説得により、当時15歳だった次男は東京ヴェルディを選びました。
2004年4月、中学校を卒業した次男は、東京ヴェルディユースに入団しました。それと同時に、神奈川県内の高校に入学しました。東京ヴェルディがその学校を勧めてくれました。東京ヴェルディは沖縄に暮らしている私の代わりに学校の行事すべてに参加してくれると約束してくれました。
エジプトへ行った長男は、鉄道クラブのU-17のチームに貢献したことによって、同クラブのU-20のチームの試合にも出るようになりました。2003年には、エジプト代表U-17の候補になりました。エジプトではサッカーのシーズンが6月で終わり、また、学校の夏休みが6月から始まることもあって、長男は夏休みを利用し、2004年に日本に一時帰国しました。日本に帰国した長男は、6月10日あたりに東京ヴェルディに入団したばかりの弟(次男)に会いに行っています。
長男は、たまたま東京ヴェルディに入団した弟の練習を見に行っただけでしたが、その時にヴェルディの責任者と会って、エジプトのサッカーや学校についての話をしています。その後、ヴェルディの責任者から私に連絡があり、できれば長男をヴェルディの練習に参加させてもらえないかという話がありました。この話に対して長男も私も、夏休みが終わればエジプトへ戻るから、練習ぐらいなら構わないと考え、長男はヴェルディの練習に参加することになりました。
しかし、約一週間後、大変驚くことが起きました。2004年6月16日付けのスポーツ報知で、長男のことが大きく取り上げられたのです。その記事には『東京Vに17歳FW日系エジプト』というタイトルと共に、長男の写真まで掲載され報道されました。
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