次男の苦しみと悲しみ(14)名門クラブの「悪質計画」とその影響
2008年シーズンは、ヴェルディにとって最悪の結果で終ってしまいました。次男はこの時成人を迎えましたが、ヴェルディで味わった「人種的差別」や「不公平な扱い方」などにより、大変苦しいシーズンとなりました。2009年1月31日には、次男とヴェルディとの契約が満了になります。しかしその前に、2008年12月下旬にヴェルディから、次男との契約を更新したいという話しが出てきました。契約更新の内容は、次男の年俸を30%アップさせ、360万円から480万円にする、というオファーでした(添付3参照)。私はこの内容を聞いて、またヴェルディの新たな「疑惑」の行動が始まると思いました。なぜなら、次男はプロになってから2つのシーズンが過ぎましたが、その間に正式な試合に1分も出場する機会を与えられず、実績を残すことができませんでした。それなのに、どうしてヴェルディが次男との契約更新を希望し、そしてさらに年俸を30%アップさせるのでしょうか。私はヴェルディのこの行動に、もしかするとヴェルディが2008年シーズンで次男を正式な試合に1分も出場させないことは「計画的」なことだったのではないかと考えるようになりました。このような考えに至るまでに、次の3つの出来事がありました。
まず1つ目ですが、2006年3月にオランダのアヤックスクラブが次男にオファーをしてきた時のことです。そのとき、ヴェルディ側の理由によりこのオファーはだめになり、ヨーロッパでプレーする次男の夢を実現するチャンスを逃す結果となってしまいました。
そして2つ目ですが、2008年シーズンが始まる前に、ヴェルディと次男との約束内容についてです。その約束の内容としては、もし、万が一シーズンの半ばごろ(7、8月)までに次男に試合の出番がなかった場合、ヴェルディ側より他のチームを紹介しレンタル移籍をさせる、というものでした。しかし、その約束をヴェルディは守ってくれませんでした。
最後の3つ目についてですが、当時イタリアのセリエAで活躍していた元ヴェルディの若手選手のことです。この選手は次男の親友でもあり、先輩でもあります。この選手がヴェルディからイタリアへ移籍する際、ヴェルディは大反対していました。しかし、この選手の家族とヴェルディとの間で激しい口論が起こり、友好的ではない雰囲気で移籍していました。この選手がイタリアへ移籍した後も、次男は彼と情報交換を行い、時には彼からアドバイスをいただいたりしていました。このような2人の関係を、ヴェルディの責任者はよく知っていました。なので、ヴェルディとしてはこの選手と同じように次男は移籍されることを恐れているようでした。
これら3つの出来事から、2008年シーズンにヴェルディが次男を正式な試合に出場させなかったことは「計画的」であったのではと考えるに至りました。もし、次男が正式な試合に出場し活躍した場合、他のチームから声がかかり、ヴェルディから移籍してしまう可能性が高くなります。それを防ぐためにヴェルディが次男を正式な試合に出場をさせなかったのではないかと思いましたし、このようなやり方はヴェルディでは珍しくないことを私は確信しています。なぜなら、ヴェルディと関わって約5年の間に、似たようなことが多々あったからです。
成人したばかりの次男は、ヴェルディとの契約更新を断りました。若手選手である次男にとって大事なことは、契約金よりも何よりも試合に出場することでした。その希望と夢はヴェルディでは、いくら頑張って努力しても実現出来ませんでした。なので次男は、本気で「愛する」ヴェルディとの契約を終えて、自分の夢を実現できる場に移籍を考え始めました。そして、移籍先を見つけるためには、正式代理人である東京マネジメント会社に頼るしかありませんでした。私は次男へ移籍についてこうアドバイスしました。「移籍するならまず日本国内のクラブへ移籍しなさい。お前はプロになってからまだ日本リーグで実績がない。だからヨーロッパへの移籍は難しい。」
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