長男の苦しみと悲しみ(2)
私の長男の名前はカタカナで書きます。長男がヴェルディに入団した時、このような「差別的」な見方をするコーチと出合ったことで、どの試合にも出場しなくなったのです。長男は契約も交わせず、試合にも出場せず、約1年半宿泊と食事だけでヴェルディに入団していたのです。長男にとって、この1年半というのは、精神的に重い負担でした。しかし、それにも関わらず、長男も私もヴェルディ側に文句一つ言わず、我慢しました。
2005年のシーズンが終わると、ヴェルディはJ1からJ2に落ちていました。その頃、ヴェルディの責任者から私に連絡があり「ヴェルディはJ2に落ちてしまったため、選手たちのほとんどが解雇となります。あなたの長男も解雇の対象になっています。J2の他のクラブに紹介するか、もしくはサッカーが出来る大学を紹介しましょうか?」という内容でした。この連絡にショックを受けた私でしたが、次男がまだヴェルディに所属していたためヴェルディに怒ることができませんでした。なので私はヴェルディの責任者へ「私はヴェルディを信頼しているので、長男のことはヴェルディにお任せします。とにかく長男を沖縄に戻さないでください。」と返事をしました。その後は、ヴェルディ側から提案があり、長男は大学に行かせた方が良いということでした。その理由としては、『大学在学中には、勉強も出来るし、サッカーも強くなれる。卒業後には再びヴェルディに入団しても良い』ということでした。それに対して、私自身も父親としては納得したものの、長男の意見を確認し、家族と相談した後、ヴェルディの提案と考えに同意しました。ヴェルディは、1年生からチームに入れる大学を紹介しますと約束してくれました。
ヴェルディが埼玉県内の大学を紹介してくれました。この大学は、これからサッカー部に力を入れる計画があり、サッカー部の監督も元ヴェルディの選手であるという話がヴェルディ側からありました。ヴェルディに紹介された大学のことを調べてみると、確かにそれほど知名度は高くなく、サッカー部は大学リーグの2部リーグでした。しかし、ヴェルディに受けた説明と約束を考えると、この大学は長男にふさわしいと思いました。その後、長男は入学試験を合格し、サッカーの試験も高く評価されため、特待生として入学することになりました。特待生としての入学ということで、長男は学費を免除され、奨学金を受ける対象になりました。長男は、ヴェルディでの1年半という曖昧な扱い方をされたことによる精神的な深い傷を受けたまま、2006年3月、大学へ入学するため埼玉県へ引っ越しました。
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