Wednesday, May 25, 2016


次男の苦しみと悲しみ(11)名門クラブ監督の「いじめ」、責任者の「嘘」と「約束破り」



8月のある日の練習が終わってから、次男はヴェルディの幹部(2007年シーズンにヴェルディの監督を務めていた方)に呼ばれ、「お前が頑張っていることは、ヴェルディのみんなが認めているよ。しかし、監督だけはお前のことを全然見ていない。」と、言われました。実際、シーズンの半ばを過ぎたにも関わらず、次男はまだ一度も試合に出場していませんでした。次男からこの話を聞いた私は、マネジメント会社に相談しました。相談後、マネジメント会社は次男の正式な代理人として、ヴェルディと相談を行いました。相談の内容は、ヴェルディと約束した条件(添付2参照)に従え、試合に出場できる可能があるチームへの期限付き移籍を依頼するものでした。しかし、マネジメント会社のこの提案は、ヴェルディ側に完全に断られました。私は早速ヴェルディの強化部長に連絡を入れ、2月の宮崎キャンプの時に約束した通り、次男をサッカー選手として育成するために試合に出場が可能なチームへの期限付き移籍が行えるチームを紹介してくださいと頼みました。しかし強化部長からは、「こういったことは自分の権限外であるため、直接お父さんから取締役強化本部長に相談をしてください」と言われました。その直後、取締役強化本部長に連絡を入れ相談しましたが、その方にもきっぱりと断られてしまいました。結局、次男は相変わらずヴェルディの「嘘」と約束「破り」で、シーズンの最後までサテライトチームの選手という扱いを受けました。2008年シーズンでは、次男はトップチームの34試合に出られるベンチ入りの18人の選手に選ばれたのはたったの3試合だけでした。そして、実際に試合に出場した時間は1分もありませんでした。2008年シーズンを通して、ヴェルディで登録されている全ての選手の内、トップチームの正式試合やカップ戦で1分でも出場しなかったのは次男1人だけでしたので、次男にとってこのことは辛く悲しいことでした。チームが良い結果を残していたら、幸いとなっていましたが、チームはJ1からJ2に落ちてしまいました。結局、次男はプロ選手になってから2つのシーズンを過ごしましたが、正式な試合には1分も出場していません。ここで、そういうことは次男みたいな若手選手にとってよくあることではないかと言われるかもしれません。しかし、次男が2年連続正式な試合に出場できなかった理由を見てみると信じられないことだらけでした。その理由を具体的に挙げてみると、まず1年目の2007年シーズンはヴェルディのメディカルスタッフの「怠慢」と「認識と知識不足」による次男の怪我の悪化により、治療に1年かかってしまったことです。そして2年目の2008年シーズンでは、次男の活躍に注目していたのが、ヴェルディの関係者の方々(監督以外)と次男の正式代理人であるマネジメント会社、そして元サッカー選手で父親である私の三者です。ヴェルディの関係者の方々は、監督以外は次男の頑張りを認めており、サテライトチームでの活躍を評価していました。マネジメント会社は代理人として2008年シーズン全てのヴェルディの試合を分析し、私も元サッカー選手として、そして父親としてヴェルディの34試合全てを確認しました。マネジメント会社の分析と、私自身の確認によりヴェルディの監督と運営(フロント)に対して、さまざまな事実が明らかになりました。

2 comments:

  1. Wish Japan good luck in Qatar World Cup

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  2. おめでとうございます日本、ベスト16で頑張りましょう

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