次男の苦しみと悲しみ (2)大きなショックの卒業式と悪質のミーティング
私たちはまず、次男の卒業式に初めて次男が3年間過ごした高校を見学し、担任の先生と面談を行いました。その時初めてこの高校が神奈川県の「少年院」施設のような高校であり、知名度と評判が低いことが分かりました。次男の担任の先生との面談では、さらに驚くような事実が分かりました。それは、この高校が神奈川県の「不良少年」を集めて、卒業するまでに礼儀正しい生活を教え込み無事卒業させることが、この学校の目標だったのです。この高校は生徒の知識を深めることや大学進学などに積極的な学校ではなかったのです。このことが分かった私と妻は非常に大きなショックを受け、ヴェルディに対する「恨み」を持ち始めました。なぜなら、沖縄に暮らしている私たちには、ヴェルディが沖縄の琉球大学付属中学校を卒業した次男をスカウトしてきた時、この神奈川県の高校へ進むことが次男に相応しいと説明していたからです。当時のヴェルディの責任者が私たちに、この高校はヴェルディとの付き合いが長くヴェルディの寮と練習場にも近いからと勧めてきました。結局、次男はこの高校を卒業しましたが、中学校で得た知識のままで、新たな知識を得られないまま、大学へ進むことも社会人になることさえも不可能に近い立場に立たされてしまったのです。次男には、サッカー以外の道の全ての道が閉ざされてしまいました。親にとって好ましくない状況であると同時に、非常に悲しい出来事でもありました。このヴェルディの「嘘」と「だまし」により、次男の将来がサッカーのみに制限されてしまいました。
卒業式の後、東京のスポーツ選手の東京マネジメント会社との面談のため、ヴェルディの事務所に向かいました。そこで、ヴェルディの強化部長とその東京マネジメント会社社長、そして私たち夫婦が会って話し合いました。話し合いの結果、次男はユースで活躍してきたもののプロ選手としては始まったばかりで、さらに、怪我で療養中であることから、マネジメント契約を交わすことを見合わせる、ということになりました。私はこの結果に満足しましたが、面談の間にヴェルディの強化部長と東京マネジメント会社社長の間には、何か問題があるような感じを受けました。というのは、東京マネジメント会社社長が何を言っても、強化部長は受け入れなかったからです。しかし私は、その時はあまり気にしませんでした。
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