次男の苦しみと悲しみ(27) 田舎の少年は、都会の名門クラブに振り回された!!!
4日後の2月8日、東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡が入りました。その内容は、次男が送った東京マネジメント会社との契約を解約する手紙が届いたことの確認と、弁護士側が東京ヴェルディと次男の人材育成費返済に関する新たな支払契約文書を送付するということでした。人材育成費返済に関する新たな支払契約文書が届いた際には、弁護士側に連絡を入れるように、という指示もありました。それにより、弁護士が東京ヴェルディと次男が直接会えるようにするということでした。しかし、もし東京ヴェルディと次男が直接会うことになった時には、代理人やお父さんなどと一緒に来ないで、1人で来るようにということも言われたそうです。次男は「もしこの指示に従った場合、再び東京ヴェルディに戻ってプレーすることが出来ますか?」と聞きましたが、弁護士からは「それは約束出来ません」と言われました。
2月9日、次男のところには東京ヴェルディの弁護士から送られた手紙が届きました(添付7参照)。前日に弁護士から指示された通り、次男は弁護士に連絡を入れ、手紙が届いたことを伝えました。弁護士からは、その手紙の中の人材育成費返済に関する新しい契約文書を読んでから、署名をして準備をしていなさいと指示しました。その間に、弁護士が東京ヴェルディに連絡を入れ、東京ヴェルディと次男とが会う時間を決めるということでした。
次男が弁護士に連絡を入れた2時間後、再び東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡がありました。弁護士が東京ヴェルディと連絡を取り合った結果、東京ヴェルディの責任者と次男が会う日が2月14日の午後1時半になったということでした。ヴェルディの責任者と会う時には、署名した人材育成費の新しい契約書を持ってくるようにと指示を受けました。
東京ヴェルディの責任者と会う2月14日の午後1時半に、次男は東京ヴェルディに行きました。しかし、東京ヴェルディの責任者の誰1人もいませんでした。次男は事務員に、責任者と会う約束があることを伝えると、この事務員が責任者へ連絡を入れ、責任者と直接話しをさせてくれました。責任者は次男に謝りながら、「弁護士からは、来週の2月21日に会う約束になっていると聞きました」と言われました。次男は、「大丈夫です。また来週2月21日に出直します」と、東京ヴェルディの責任者へ伝えました。
そして2月21日に、再び次男は時間通り東京ヴェルディへ行き、責任者と会うことが出来ました。東京ヴェルディの責任者は、次男から次男の署名入りの育成人材費返済に関する新しい契約文書を受け取りました。そして次男に「あなたは今収入がないから、この契約は厳し過ぎます。改めて弁護士と相談をし、あなたが収入を得るようになってから、返済を始めるようにします。」と、言ってくれました。責任者は、その契約文書に東京ヴェルディの署名をせず次男に返しました。そして、責任者は「あなたの反省している気持ちは伝わっているが、現在の東京ヴェルディの状況ではあなたを獲得することが出来ません。その代わり、あなたのことを出来るだけ他のクラブや選手の代理人たちに紹介をします。ですが、今は3月4日のリーグ開幕に向けて忙しいので、それまで待っていなさい。」と、話してくれました。
東京ヴェルディがこのように「親切」な「人間的」行動を行ってくれたのは、次男とヴェルディとの8年間の付き合いの中では初めてのことでした。本当に東京ヴェルディが次男との間の人材育成費返済の問題を解決してくれるのかを心配していましたが、私たちは東京ヴェルディを信じ、ヴェルディの責任者に言われたとおり3月4日のリーグ開幕まで待つことにしました。東京ヴェルディの責任者は、次男を他のクラブや選手代理人たちに紹介をすると話してくれたので、その言葉を信じ、次男自身も所属出来るクラブが見つかるように動き出す決心をしました。
正式代理人であった東京マネジメント会社との契約を解約した次男は、獲得してくれるクラブを自分自身で必死に探し始めました。3月4日に東京ヴェルディからの返事をもらうまでの時間を、きっちり利用することにしたのでした。
まず、日本国内に所属出来るクラブを見つけるため、去年トライアウトの場で東京ヴェルディ関係者が流してしまった「次男の悪い噂」を消さなければならないと、次男は考えました。トライアウトの場で東京ヴェルディの関係者は、次男が人材育成費を返済しない、怪我の多い選手であるという噂をその場にいた他のクラブの関係者へ流しました。それを消すために、2月23日・24日・25日の3日間の間、姉の協力でJ1の18チームの関係者とJ2の18チームの関係者、合計36チームに手紙(添付8参照)と、自分のプレーのハイライト映像(DVD)を送付しました。手紙の内容は、次男と東京ヴェルディとの間の人材育成費返済問題は解決に向っていることや、サッカー選手としてプレーをさせて頂けるチャンスを与えてほしいというお願いでした。もし、どこかのチームから反応があれば、おそらく1週間か10日後になると次男は考えていました。そうすると、ちょうどその時東京ヴェルディからの人材育成費返済に対しての返事をもらっているはずなので、安心して反応してくれたチームの練習へ参加出来るという次男の計算でした。さらに次男は、日本国外の選択も視野に入れて動きました。東京ヴェルディから返事が返ってくるのと、36のチームへ送付した手紙やDVDに対する反応が来るまでに少し時間がありました。その時間を利用して、東京に滞在しているサッカー選手代理人の外国人の方の紹介で、東南アジアのある国に行きました。しかし、現地に着いてからそこのクラブ関係者から聞いた条件と、東京に滞在している外国人代理人から聞いた条件とが完全に異なっていました。なので、そういうことを怪しいと感じた次男はすぐに日本に帰国しました。
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