Wednesday, June 1, 2016

次男の苦しみと悲しみ(18)東京マネジメント会社とチェコのクラブの曖昧な対応

2010年シーズン


2009年~2010年のチェコの新シーズンが始まる前の20098月に、私が気になっていた監督へのコミッションの支払いについて再び東京マネジメント会社に相談しました。しかし、東京マネジメント会社がこのことについてどのような対応を行うのかは結論が出ないままで、いつか社長が東ヨーロッパへ行く際に対応すると言われました。

そうこうしているうちに、新シーズンが始まりました。このシーズンは、次男にとってチェコでの2つ目のシーズンでした。私は、このシーズンで次男が活躍すれば、西ヨーロッパの各国のクラブにスカウトされるのではないかと期待していました。

 しかし、2009年~2010年シーズンの前半(20098月から12月まで)15試合の内、次男が途中出場していたのはたったの5試合でした。それ以外は、4部リーグのBチームの試合にまわされました。非常に反則や荒いプレーが多くて、「アメリカンフットボール」のようなサッカーの4部リーグの試合でも、クラブの報道によると次男は活躍していました。シーズンの後半(20102月~5月まで)が始まると、同じように次男は4部リーグのBチームの試合にまわされていました。

2月初旬のある4部リーグのBチームの試合で、次男は相手チームの選手に強く蹴られるということが起きました。その日は雪が降っていたため、サッカー場の回りのトラックには雪が積もっていました。相手の選手に強く蹴られた次男は、そのトラックに飛ばされ、次男の右ひざは積もっていた雪にぶつかり大怪我をしてしまいました。しかし、怪我をして約1ヶ月経っても、クラブが次男の怪我を診断せず、専門の病院にも連れて行きませんでした。東京マネジメント会社の話によると、当時、このクラブは非常に厳しい経営状況だったようです。クラブが何もしないので、次男は約1ヶ月間、怪我をしたまま家で我慢していましたが、日本で加入したスポーツ保険を利用し、38日にクラブの許可を得て怪我の診断のためイタリアへ旅立ちました。イタリアでの診断の結果は、右ひざの半月板の損傷でした。治療方法としては、外科的な手術と、術後のリハビリでした。完全復帰まで10週間を要するということでした。次男はイタリアで319日に外科的な手術を無事終え、その後のリハビリにも励み、531日に完全復帰できる状態となりました。

61日、次男がチェコに戻ると衝撃的なことが2つ起こっていました。まず、次男が怪我したときからとその怪我を治療している間の2月から5月までの約4ヵ月間の給料を、クラブ側は次男へ支払っていませんでした。さらに、クラブ側が次男との契約を解約する、という話も出ていました。次男がチェコに戻った時、ちょうど東ヨーロッパに居た東京マネジメント会社の社長が、62日にチェコへ向かい、クラブ関係者と話しをしました。社長から聞いた話では、クラブの大きなスポンサーであるガラス製品の会社が潰れてしまい、クラブの経営が悪化していた、というものでした。経営悪化と、次男が怪我で3ヵ月間チームと離れ活動していなかったことを踏まえ、クラブ側は次男との契約を解約する、ということでした。マネジメント会社とクラブとの話し合いの場に同席していた次男の話によると、東京マネジメント会社の社長は、このクラブ側の話を聞いてもクラブに何の議論や文句などを言わずに話を終らせてしまった、ということでした。しかし、クラブの会長は親切に次男へ支払われなかった4ヵ月分の給料を支払ってくれました。201062日、次男とチェコの「FKテプリツェ」クラブとの2年半の契約は残念な結果で途中で終ってしまいました。

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