私は日本に来て今年で、40年になりました。その前に、エジプトで1963年から1974年までサッカー選手としてプレーをしました。その間、エジプトの大学サッカー代表として選ばれ、1974年にエジプトサッカーA代表候補になりました。しかし、同年に大怪我をしてしまったため、24歳の若さでサッカーを引退した。 日本での40年の生活の中には、貴重な体験や経験などをさせていただきました。その中から、サッカーの指導者としての貴重な体験を皆さんにお伝いしたいと思います。その体験たは、自分自身と二人息子がかかわっていますが、決して良い体験ではありません。しかし、この体験は個人だけの体験ではありませんが、多くのサッカー選手が似たような体験を味わっていると思います。そのため、個人の体験を通して、これからの多くの少年サッカーの子供達を守ればなと思います。この体験をこのブログに乗せることにしました。ぜひ、 読んで頂きたいと思います。必ず、少年サッカーの多くの子供達を守る方法が見つかると思います。
Tuesday, June 14, 2016
次男の苦しみと悲しみ(30)次男は名門クラブから得た誤った人材育成のさまざまな悪い影響が続いている。名門クラブよ、不当に取った息子のお金を返せ。
私は次男のプロサッカー選手としての夢を実現するため、次男を全面的に支えることに決めました。なので、私のふるさとであるエジプトにいる私の兄弟に1万5千ドル(当時約120万円)を借りることにしました(添付9参照)。そのお金が日本に届くまでは、日本国内のクレジットを利用し、5月29日から7月8日までの5週間の日程で、ドイツとアメリカに次男を行かせました。
7月9日には、次男は元気な姿で日本に帰国しました。次男の下半身の痛みは全てなくなり、完全に体作りが出来ました。次男は日本に帰国した翌日から、獲得してくれるチームを見つけるため、再び頑張り始めました。前回の冬の移籍期間(1・2月)には、東京ヴェルディが流した悪い噂などにより、獲得してくれるチームがありませんでした。次男はその後、東京ヴェルディに謝罪をしましたし、ヴェルディとの仲を取り戻すためにと様々なことを行ってきましたが、東京ヴェルディからは何の協力もいただけませんでした。このようなことがあったのですが、それでも前向きに考えて夏の移籍期間(7・8月)に獲得してくれるチームを探し始めました。
前回の冬の移籍期間には、J1の18チームとJ2の18チーム、合わせて36チームにアピールしましたが、2チーム以外の34チームからは全く反応がありませんでした。なので今回の夏の移籍期間には、さらにJFL(日本の3部リーグ)の多くのチームにアピールすることを考えました。
7月30日に、次男はJFLの10チームの関係者に、手紙とプロフィール(添付10参照)と、自分のプレーをアピール出来るハイライト映像(DVD)を送付しました。送付して2日後の8月1日には、JFLの横浜YSCCというクラブ関係者から次男に連絡が入りました。その内容は、そのクラブは次男の獲得を希望しているが、このクラブは会員クラブであるため、プロ契約と契約金はなしで、次男が会員料金として毎月8千円支払うことになる、という内容でした。現在背負っている金銭的な問題があるため、次男は横浜YSCCの関係者には「考えさせて下さい」と返事をしました。次男は横浜YSCCクラブが自分を獲得したいという申し入れに対し、非常に感謝しました。しかし収入を得られないため、どう生活するのかを考える時間が必要でした。考えている時間の間に、もしかしたら他のJFLのチームから何か連絡が来るかもしれないとの期待もありました。
8月8日まで様子を見ることにしましたが、結局、他のJFLのチームからは何の連絡もありませんでした。しかし、JFLリーグの夏期移籍期間は8月15日までとなっているため、次男は横浜YSCCクラブ関係者に連絡を入れ、8月10日から練習へ参加させて頂くことになりました。次男はアルバイト生活を行いながら今季(12月まで)は横浜YSCCクラブで約4ヵ月プレーを頑張れば、来季からは収入が得られるチームに移籍出来ると考えました。
8月13日に、横浜YSCCクラブが次男と正式に約束をしました。次男は今季(12月まで)横浜YSCCクラブの選手として登録をし、月々8,400円の月謝を支払うことになりました。次男本人は、自分はプロサッカー選手として落ちるところまで落ちてしまったと一時期は落ち込んでしまいましたが、しばらくして開き直り、アルバイトを探し横浜YSCCクラブで頑張ろうという気分になっていきました。
私は元プロサッカー選手として、そしてサッカーの指導者、父親として、当時の次男の気持ちは理解出来ましたが、彼のこれからのことが非常に心配でした。というのは、次男はプロサッカー選手の道を歩んだ時から辛いことばかりで、彼自身の非常に強い精神が弱まり、それがプレーに影響し自分の良さを見せることが出来なくなるのでは、という気持ちがあったからです。
9月2日、早速次男が横浜YSCCチームの天皇杯の正式な試合に途中出場し、チームの2対0の勝利に貢献しました。しかし3日後、チームの練習でひざの前十字を損傷してしまい、サッカー選手にとって最悪な怪我をしてしまいました。その怪我を治して完全復帰が出来るまで、手術とリハビリを合わせての治療が必要になりますが、それには6ヶ月の時間が必要だと言われました。その内、最初の3ヶ月間は松葉杖でしか歩けないため、自由に動けなくなってしまいます。この怪我をしたことで、次男が横浜YSCCチームの正式な試合に出場したのは、1回のみでした。これで次男の2012年シーズンが終ってしまいました。しかし次男は相変わらず強い精神力で手術を受け、リハビリに励み、順調に回復に向いました。2013年6月下旬には、復帰出来ました。
私は自分の子ども3人には、感動させるような褒め方をした覚えはありません。さらに、子ども達のどんなことについても、味方になった覚えはありません。逆に子どもたちは、私のことを「厳しい」父親だと思っているかも知れません。しかし、東京ヴェルディの次男に対する行動を見ると、次男のことを非常に「可哀想」だと思ってしまいます。東京ヴェルディとの9年間の付き合いを振り返ると、私たち家族は東京ヴェルディを愛していたし、完全に信頼していました。しかし、東京ヴェルディは私たちの愛と信頼を、違った意味で解釈したのではないかと思います。非常に残念なことですが、15歳の若さで純粋な気持ちで夢を叶えるために沖縄を出た次男の9年間は、苦しみや悲しみばかりでした。どのような境遇にあってもプロサッカー選手の夢を絶対に諦めない次男を見ていると、彼からサッカーを取ってしまうと何が残るのだろうかと改めて考えています。
2013年6月から現在に至る、次男が東京ヴェルディから得た誤った人材育成のさまざまな悪い影響を抱えながら、J3の横浜YSCCというクラブに「契約金なし」の選手として所属している。
次男は、愛するサッカーを諦めず、アルバイトをしながら頑張っていますが、厳しい金銭的状態による、サッカー選手の規則正しい日常生活が出来なくなってしまいました。その結果、次男はサッカー選手としての良い結果を残すことが出来ていません。
現在の次男の状態は、サッカー選手の活動を続いた場合、結果を残さなければならない。そのため、規則正しい日常生活出来るような資金が必要となります。一方、次男がサッカーを諦めて、一般の社会人になるにしても、資金が必要となります。
私と妻は、2人で年金生活ながら、約4年間の間に出来るだけ次男を支え続きましたが、2人の生活は大変苦しくなっているため、これ以上彼を支えることが出来ません。そのため、上に述べたように、東京ヴェルディが不当に取った次男の¥8,632,784(治療費と人材育成費) を返させていただきたいと思います。
日本スポーツ界及びマスコミと各サッカークラブチーム関係者の皆様には、行動を求めています。ぜひ、行動を起こして下さい。
最後になりますが、我が家全員がただ東京ヴェルディを信頼しただけです。しかし、東京ヴェルディが希望を生み出すことがしませんでした。さらに、東京ヴェルディが超えてはならないものを超えてしまいました。
次男の将来をこれ以上絶望的にならないように、そして東京ヴェルディ及び日本サッカー界には、悪い影響が当たらないように、ご理解と協力をお願いいたします。
Sunday, June 12, 2016
次男の苦しみと悲しみ(29)名門クラブは、次男を苦しみさせながら潰してしまいました。
日本サッカー協会の規則により、次男のようなどこかのチームと契約のない選手たちが、最大限の3月31日までに日本国内で獲得してくれるチームを探さなければ、つぎに国内でチームを探せるのは夏の移籍期間(7月・8月)になってしまいます。次男や私のチーム探しは、残念な結果で終ってしまい、3月31日になっても、日本国内での次男を獲得してくれるチームはありませんでした。
4月1日、「日本選手会」から次男に、獲得してくれるチームが見つかったのかを確認する連絡がありました。次男が、まだ見つかっていないことを伝えると、「日本選手会」がアメリカの2部リーグのチームを紹介してくれました。次男がそのチームに興味があれば、4月から10月までの半年間契約となり、月給は約30万円という条件でした。次男は迷わずに日本選手会に紹介して頂くことにしました。日本選手会は、選手会と連携しているアメリカに滞在している日本人の直接連絡を入れるようにと次男に指示しました。次男は選手会の指示通り、その日本人と連絡を取り合いました。その結果、次男はそのアメリカのチームの練習に4月22日から5月8日までの2週間参加することが決まりました。
4月3日、次男はアメリカのチームの練習へ参加するため準備を始めることを、東京ヴェルディに伝え、東京ヴェルディの責任者にはその準備として東京ヴェルディと一緒に練習をさせて頂きたいとお願いしました。しかし、東京ヴェルディの責任者は、練習への参加を断わりました。次男は東京ヴェルディとの仲を修復しようと頑張りましたが、東京ヴェルディ側はその次男の行動に理解を示さず、次男は最後まで苦しみました。
次男はアメリカのチームの練習へ参加するため、友達の大学チームとの練習を行うことが出来ました。しかし残念なことに、次男はその大学のチームと練習をしている間にハムストリング(股の裏)を痛めてしまいました。そのとき、次男はすでにアメリカへ行く日程と準備を進めていたので、アメリカのチームを紹介してくれたアメリカ在住の日本人の方に相談をしました。その結果、この方の協力で、アメリカでの練習へ参加できる日程が4月22日から5月6日に伸ばすことが出来ました。さらに次男には、ハムストリングの治療が出来るようにとアメリカの有名なスポーツ怪我専門のメデイカルセンターを紹介してくれました。これで、次男はハムストリングの治療とアメリカのチームの練習に参加するため、4月26日にアメリカへ旅立ちました。
同日、次男はそのスポーツ怪我専門のメデイカルセンターに到着しました。このセンターでは、選手たちが自分の怪我を一刻も早く治すように、治療や宿泊や食事などの設備の全てがそろっていました。このセンターでは、初めて来た選手の健康診断と怪我の経歴を徹底的に調べます。4月27日から、10日間の治療の日程が始まりました。
まず初めに、健康診断と怪我の経歴を細かく調べられました。その結果、5年前の東京ヴェルディで悪化させられた怪我をかばうため、下半身のさまざまなところに悪い影響を与えていることが分かりました。その悪い影響の大きなものは、骨盤の「ゆがみ」です。骨盤の「ゆがみ」により、ハムストリングや膝や足首などの痛みが出てきて、そういう痛みを防ぐために2週間から4週間の治療とリハビリで骨盤の「ゆがみ」を治す必要があるという結果でした。
次男はアメリカのチームの練習へ参加する日程は5月6日になっていましたが、これに間に合うか心配をしながら治療とリハビリに励みました。アメリカのチームとの懸け橋になっている日本人の方が、チームの練習へ参加することを気にしないで、まずは怪我を治すことが一番大事だからと次男を励ましてくれました。
次男は2週間の治療とリハビリを終えました。しかし、骨盤の「ゆがみ」はまだ約70%しか元に戻っておらず、さらに2週間の治療とリハビリが必要という結果が出ました。完全に治るまでは激しい練習や試合などには参加しないように、という指示がありました。怪我を完全に治したいと思っていたものの、治療とリハビリにかかる費用は全て自費であったため、次男も私も金銭的な状況が悪化するところまで来てしまいました。それで仕方がなく、次男は治療とリハビリを続けず、アメリカのチームの練習へも参加せず、5月16日に日本へ帰国しました。
帰国した次男は、日本国民健康保険を利用して、残りの治療とリハビリを日本で続けようと考えていました。しかしそこには、さまざまな困難がありました。それは、日本にあるスポーツ怪我専門施設の規則では、日本代表の経験のない選手たちがそのスポーツ怪我専門施設を利用することが出来ないのです。別のスポーツ怪我専門の施設もありましたが、その施設では国民健康保険を利用することが出来ないため、治療費すべては自己負担となります。もし仮にその施設で治療やリハビリを受けた場合、1回の治療とリハビリにつき1万円の治療費が必要になります。さらに、スポーツ怪我の専門医師から診断を受けるために、2ヶ月ほど待たなければならない、ということもありました。このことから、日本で治療を行うためには、高い治療費と時間がかかることが分かりました。どうにか良心的な料金で治療を行えないかと、私と次男はさまざまな方法を調べ、また、いろいろな人に相談しました。その結果、1番ベストな方法として、ドイツとアメリカに行って治療を行うということでした。
Friday, June 10, 2016
次男の苦しみと悲しみ(28)名門クラブの「差別」と「悪用ネットワーク」が、沖縄にやってきた!!!FC琉球よ、「ブロウタス...おまえもか」。
次男が36チームに出した手紙やDVDに対する反応をくれたのは、たったの2チームでした。まずJ1のサンフレッチェ広島から、2月28日に次男に直接連絡がありました。サンフレッチェ広島チームは、次男に注目していましたが、当時のチームの状況により次男を獲得出来ませんという、丁寧な断りでした。翌2月29日には、当時J2の湘南ベルマーレからは、すぐにでもチームの練習に参加して下さいという連絡内容でした。思った以上に早く湘南ベルマーレから練習への参加に関する連絡が入ったので、3月4日以降にして頂くことをお願いしました。それに対して、湘南ベルマーレが親切に次男のお願いを受け入れてくれました。次男が湘南ベルマーレの練習参加を3月4日以降に伸ばしたことには理由がありました。それは、湘南ベルマーレに迷惑をかけないように、3月4日までには東京ヴェルディから人材育成費返済に関する解決の返事をもらってから、練習に参加した方が良いと考えたからです。しかし、3月4日まで待っても東京ヴェルディからは、連絡がありませんでした。湘南ベルマーレには3月4日まで待ってもらっていたので、与えられたチャンスを逃がさないようにと3月5日に湘南ベルマーレに連絡を入れ、練習への参加を始めたいと伝えました。しかし、その時すでに湘南ベルマーレには別の3人の練習生の選手が練習へ参加していたので、次男は参加の日を伸ばされました。
3月8日に、湘南ベルマーレから次男に連絡が入りました。その内容は、湘南ベルマーレが次男を獲得することが難しくなっているが、3月30日までには検討をします、ということでした。湘南ベルマーレの練習へ参加できる可能性がほぼなくなってしまいました。
同日、次男は東京ヴェルディとの人材育成費返済に関することを聞くために、東京ヴェルディの責任者に連絡を入れました。責任者には、現在の自分の状況を話し、まだ所属クラブが見つかっていないことを伝えました。この話を受けて責任者は、次男を獲得してくれるチームを探すから、3月14日まで待ちなさいと、次男に言いました。
3月14日になったので、次男は東京ヴェルディの責任者に連絡を入れました。しかし、まだチームを探している途中で、ヴェルディの監督と相談を行っているから3月19日まで待ちなさいと責任者は次男に伝えました。
約束の3月19日になったので、次男は再び東京ヴェルディの責任者に連絡を入れました。責任者からは、3月22日に会いましょうと言われたので、3月22日に、次男は責任者に会いに行きました。次男と責任者は、まず人材育成費返済の問題について話し合いました。責任者は次男に、この問題を白紙に戻し、次男がどこかのクラブに所属出来るまで返済をしなくても良いということを伝えました。そしてさらに、ヴェルディの練習へ参加するのはもう少し待ちなさいとも言われました。また、履歴書を送るようにと指示されたので、次男は提出することを責任者に約束しました。
3月29日に、様子をうかがうために次男が東京ヴェルディの責任者へ連絡を入れました。しかし、責任者からは「何も変わりはありません」としか言われませんでした。次男がこのような行動を行っている間に、私も沖縄で動き出しました。沖縄県地元のFC琉球というチームに次男を獲得してくれるかの連絡を入れました。FC琉球というチームは、日本JFLリーグに加盟しているチームですが、約10年前までは九州の地区リーグのチームでした。九州地区リーグの時から、当時のチームの指導者と付き合いをさせて頂き、さまざまな協力と応援を行ってきました。その後、チームが日本JFLリーグに上がりましたが、私がお付き合いをさせて頂いていた指導者や運営「フロント」の方の何人かが解雇されました。しかし、私はチームの応援を続け、何人かの関係者といつも顔会わせをしていました。そのため、私は自信を持ってFC琉球関係者に、次男の獲得に関する相談をしました。以前からFC琉球チームの経済的状況があまりよくないことは認識していたため、もし仮に次男がFC琉球チームに所属することができれば、実家に住むので契約金の必要はありませんと伝えました。しかし、実家とチームの練習場が離れているため、月々5万円を交通費として頂ければとチームの関係者にお願いしました。しかし、チームの関係者が「現在はチームに選手がたくさんいるので、新しい選手を獲得する必要がありません。練習へ参加させることは出来ますが、必要な選手でいても契約金も交通費もなしで獲得を考えます」と、言われました。しかし私は、この返事に対し何も悲観的な考えを持ちませんでした。それはチームの経済的なことが問題だと思ったからです。私は次男にはサッカーをして欲しい気持ちがありましたが、FC琉球の練習場と実家が離れているため、交通費という壁がありました。その壁を乗り越えるために、次男がアルバイトをしながら交通費を稼ぎ、それでサッカーを続けることができれば良いと私は思いました。沖縄県は、日本全国でも失業率が非常に高く、サッカーとアルバイトを両立することができる環境を作ることが非常に難しいです。しかし私は、何とかなると考えました。
そういうことを考えている内に、沖縄の地元の新聞ではFC琉球チームに関する愕然とする情報が次々に報道されました。FC琉球チームが日本本土からさまざまな新しい選手をプロ契約で獲得していることや、前からチームに所属している42歳の選手との契約を更新する、というようなことでした。FC琉球が次男の獲得を断わった理由は、単なる悪い経済状況が理由ではありませんでした。どうしてFC琉球は次男を獲得しなかったのかを、私は考えました。私は元プロサッカー選手で、サッカーの指導者としてずっとFC琉球を応援し、チームの選手たちの力とレベルを認識しています。もしその中に東京ヴェルディとモンテディオ山形、そしてヨーロッパでのプレー経験がある若手選手の次男が入ると、大きな役割を果たしてくれると思いました。もちろん、FC琉球チームの方針や考え方などがあることは認識していますが、FC琉球関係者が次男の獲得を断わった理由は、チームの方針や考え方などではなく、別の理由があることが分かりました。それはまず、私がFC琉球チームの関係者に次男の獲得をお願いした当時のチーム監督やスタッフの方は、東京ヴェルディの元関係者でした。その方たちは、東京ヴェルディが流した次男の悪い噂を聞いているため、次男の獲得を断わったのです。私は、東京ヴェルディの「悪用ネットワーク」の働きがすごいことを実感しました。FC琉球関係者が次男の獲得を断わったのには、もう1つ理由がありました。それは、FC琉球チームが九州地区リーグからJFLリーグに上がった時から、なんらかの理由で沖縄出身の選手やスタッフなどを使わないようにしているということです。私はこの事実を2009年12月7日のFC琉球のシンポジウムで、チームの会長に指摘をしましたが、会長からは曖昧な説明しかもらえませんでした。この2つの理由で、FC琉球責任者が次男の獲得を断わったことが明らかになりました。私は、次男がFC琉球チームへ所属することを、諦めてしまいました。
Thursday, June 9, 2016
次男の苦しみと悲しみ(27) 田舎の少年は、都会の名門クラブに振り回された!!!
4日後の2月8日、東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡が入りました。その内容は、次男が送った東京マネジメント会社との契約を解約する手紙が届いたことの確認と、弁護士側が東京ヴェルディと次男の人材育成費返済に関する新たな支払契約文書を送付するということでした。人材育成費返済に関する新たな支払契約文書が届いた際には、弁護士側に連絡を入れるように、という指示もありました。それにより、弁護士が東京ヴェルディと次男が直接会えるようにするということでした。しかし、もし東京ヴェルディと次男が直接会うことになった時には、代理人やお父さんなどと一緒に来ないで、1人で来るようにということも言われたそうです。次男は「もしこの指示に従った場合、再び東京ヴェルディに戻ってプレーすることが出来ますか?」と聞きましたが、弁護士からは「それは約束出来ません」と言われました。
2月9日、次男のところには東京ヴェルディの弁護士から送られた手紙が届きました(添付7参照)。前日に弁護士から指示された通り、次男は弁護士に連絡を入れ、手紙が届いたことを伝えました。弁護士からは、その手紙の中の人材育成費返済に関する新しい契約文書を読んでから、署名をして準備をしていなさいと指示しました。その間に、弁護士が東京ヴェルディに連絡を入れ、東京ヴェルディと次男とが会う時間を決めるということでした。
次男が弁護士に連絡を入れた2時間後、再び東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡がありました。弁護士が東京ヴェルディと連絡を取り合った結果、東京ヴェルディの責任者と次男が会う日が2月14日の午後1時半になったということでした。ヴェルディの責任者と会う時には、署名した人材育成費の新しい契約書を持ってくるようにと指示を受けました。
東京ヴェルディの責任者と会う2月14日の午後1時半に、次男は東京ヴェルディに行きました。しかし、東京ヴェルディの責任者の誰1人もいませんでした。次男は事務員に、責任者と会う約束があることを伝えると、この事務員が責任者へ連絡を入れ、責任者と直接話しをさせてくれました。責任者は次男に謝りながら、「弁護士からは、来週の2月21日に会う約束になっていると聞きました」と言われました。次男は、「大丈夫です。また来週2月21日に出直します」と、東京ヴェルディの責任者へ伝えました。
そして2月21日に、再び次男は時間通り東京ヴェルディへ行き、責任者と会うことが出来ました。東京ヴェルディの責任者は、次男から次男の署名入りの育成人材費返済に関する新しい契約文書を受け取りました。そして次男に「あなたは今収入がないから、この契約は厳し過ぎます。改めて弁護士と相談をし、あなたが収入を得るようになってから、返済を始めるようにします。」と、言ってくれました。責任者は、その契約文書に東京ヴェルディの署名をせず次男に返しました。そして、責任者は「あなたの反省している気持ちは伝わっているが、現在の東京ヴェルディの状況ではあなたを獲得することが出来ません。その代わり、あなたのことを出来るだけ他のクラブや選手の代理人たちに紹介をします。ですが、今は3月4日のリーグ開幕に向けて忙しいので、それまで待っていなさい。」と、話してくれました。
東京ヴェルディがこのように「親切」な「人間的」行動を行ってくれたのは、次男とヴェルディとの8年間の付き合いの中では初めてのことでした。本当に東京ヴェルディが次男との間の人材育成費返済の問題を解決してくれるのかを心配していましたが、私たちは東京ヴェルディを信じ、ヴェルディの責任者に言われたとおり3月4日のリーグ開幕まで待つことにしました。東京ヴェルディの責任者は、次男を他のクラブや選手代理人たちに紹介をすると話してくれたので、その言葉を信じ、次男自身も所属出来るクラブが見つかるように動き出す決心をしました。
正式代理人であった東京マネジメント会社との契約を解約した次男は、獲得してくれるクラブを自分自身で必死に探し始めました。3月4日に東京ヴェルディからの返事をもらうまでの時間を、きっちり利用することにしたのでした。
まず、日本国内に所属出来るクラブを見つけるため、去年トライアウトの場で東京ヴェルディ関係者が流してしまった「次男の悪い噂」を消さなければならないと、次男は考えました。トライアウトの場で東京ヴェルディの関係者は、次男が人材育成費を返済しない、怪我の多い選手であるという噂をその場にいた他のクラブの関係者へ流しました。それを消すために、2月23日・24日・25日の3日間の間、姉の協力でJ1の18チームの関係者とJ2の18チームの関係者、合計36チームに手紙(添付8参照)と、自分のプレーのハイライト映像(DVD)を送付しました。手紙の内容は、次男と東京ヴェルディとの間の人材育成費返済問題は解決に向っていることや、サッカー選手としてプレーをさせて頂けるチャンスを与えてほしいというお願いでした。もし、どこかのチームから反応があれば、おそらく1週間か10日後になると次男は考えていました。そうすると、ちょうどその時東京ヴェルディからの人材育成費返済に対しての返事をもらっているはずなので、安心して反応してくれたチームの練習へ参加出来るという次男の計算でした。さらに次男は、日本国外の選択も視野に入れて動きました。東京ヴェルディから返事が返ってくるのと、36のチームへ送付した手紙やDVDに対する反応が来るまでに少し時間がありました。その時間を利用して、東京に滞在しているサッカー選手代理人の外国人の方の紹介で、東南アジアのある国に行きました。しかし、現地に着いてからそこのクラブ関係者から聞いた条件と、東京に滞在している外国人代理人から聞いた条件とが完全に異なっていました。なので、そういうことを怪しいと感じた次男はすぐに日本に帰国しました。
Wednesday, June 8, 2016
次男の苦しみと悲しみ(26)名門クラブの「乱用」が、超えてはならないものを超えてしまいました。「絶対許せない」。
東京ヴェルディには、たくさんの辛いことを突き付けられてきましたが、次男も私たち家族も、東京ヴェルディと戦うことや文句を言うことはしてきませんでした。それは、サッカーの道しか残っていない次男の将来を守るためでした。私たち家族は、東京ヴェルディとの仲をこじらせると次男がいじめられると感じていました。そのため、積極的な行動を始めることにしました。
2012年1月24日、妻が8年前に沖縄で次男のことをスカウトしたヴェルディ関係者の方に連絡を入れ、涙を流しながら「次男を助けて下さい」と、お願いをしました。その方は、「クラブの運営『フロント』にお母さんの気持ちをお伝えします」と約束をしてくれました。
1月26日に、今度は私が、次男が東京ヴェルディに入団した当時、ユースの監督を行っていた方に連絡を入れ、ヴェルディと仲良くしたい気持ちを伝えました。その監督も、「お父さんの気持ちをクラブの運営『フロント』にお伝えします」と約束してくれました。その直後、この監督から私に連絡がありました。「お父さんの気持ちをお伝えしましたから、クラブからお父さんに連絡が入ります」と言われました。
1月27日、次男が姉の協力を得て、東京ヴェルディの運営「フロント」に謝罪の手紙を送りました(添付5参照)。
1月29日、次男が自分のさまざまなプレーのハイライト映像(DVD)を、当時の東京ヴェルディの監督に送りました。しかし、妻や私、次男の連絡や手紙などに対して、東京ヴェルディから何の反応もありませんでした。
2月3日、東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡が入りました。その内容は、次男が人材育成費の自分の負担分約300万円を東京ヴェルディに返済する意志があるのかどうかの確認でした。それに対し、次男は必ず返済することと、再び東京ヴェルディに戻りプレーしたい意志を弁護士に伝えました。次男の意志を確認した後、弁護士は、もし東京ヴェルディに戻った場合、契約金をいくら欲しいかを聞いてきました。この質問に対し次男は、今は兄と暮らしているから生活出来る契約金だけで十分と伝えました。弁護士は、今の次男の気持ちを東京ヴェルディに伝えて、再度次男に連絡を入れると約束してくれました。
同じ日に、再度東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡が入りました。その内容は、人材育成費の300万円の返済に関して新たに正式契約を結ぶため、弁護士から次男へ正式契約書を送付し、次男に署名を行ってほしいということでした。そしてさらに、東京マネジメント会社との選手マネジメント契約がある限り、東京ヴェルディが次男と直接話すことができないため、すぐにこの会社との契約を解約しなさい、という指示でした。次男は、弁護士の指示に従うことを約束しました。
この話を聞いた私は、なぜ東京マネジメント会社との契約を解約するよう指示したのか、以前から東京ヴェルディと東京マネジメント会社との間に何か問題があると思っていたので、徹底的に調べてみました。その結果、次男が8年前に始めて東京ヴェルディに入団したとき出会った「悪質」なコーチスタッフの方が次男に行った行動と全く同じように、東京ヴェルディに所属していた何人かの選手を東京マネジメント会社に紹介し、ヴェルディから移籍させていたことが分かりました。さらに、東京ヴェルディの女子サッカーチームの柱の選手達を東京マネジメント会社に紹介し、東京ヴェルディから関西の女子サッカーチームに移籍させていました。このことが東京ヴェルディの運営「フロント」にばれてしまい、この「悪質」なコーチスタッフの方は解雇され、そのことがスポーツ新聞に大きく取り上げられていました。このようなことが起きたため、東京マネジメント会社は次男と東京ヴェルディとの間の問題が発生した時、東京ヴェルディとのやり取り全てを私にさせていたのです。東京ヴェルディにとって東京マネジメント会社は、最大の敵となっていたことが分かりました。私たちは東京ヴェルディとの仲を良くしたいという一心で、東京ヴェルディの弁護士からの指示に従い、東京マネジメント会社と次男との間のマネジメント契約を解約することにしました。
2月4日、次男は東京マネジメント会社との契約を解約するための手紙をマネジメント会社へ送付しました。同じ日に、その手紙のコピーを東京ヴェルディにも送付しました(添付6参)。
Tuesday, June 7, 2016
次男の苦しみと悲しみ(25)名門クラブの人材育成「哲学」は、選手を「潰す」と「人材詐欺」だ!!!
次男は悲しくて複雑な気持ちのままで、12月初旬に山形を去って東京に向かいました。毎年、日本Jリーグで解雇された選手や契約を更新出来なかった選手たちのため、新しいチームが見つかるようにテストを行います。そのテストには、日本のサッカークラブやチームの関係者が参加し、選手たち一人一人の実力を見ます。その後、興味がある選手にオファーをする、これがいわゆる「トライアウト(Try Out)」です。次男は新しいチームを見つけるため、トライアウトに参加することを決めました。このとき、次男のサッカー選手としての状態は万全で、次男は自分の実力をアピール出来る自信がありました。
トライアウトのテストを終えた次男は、自分の実力をうまくアピール出来たと話していました。このトライアウトには大勢の日本人と外国人のサッカー関係者が来ていました。その中に、次男が16歳のときに東京ヴェルディのユースで指導してくれた指導者の方も来ていました。この方はすでに東京ヴェルディを辞めて、別のチームの指導者になっていました。そこで、私がこの指導者の方に連絡を入れて、トライアウトでの次男の様子を確認しました。この指導者の方は「息子さんはトライアウトで大変頑張りました。アピールもよく出来ましたが、今のところ日本国内のチームより東南アジアのどこかのチームに行った方がよいと思います」ということでした。なぜ日本国内のチームではなく、東南アジアのチームの方が良いのかが分からなかった私は、なぜそう思ったのかを聞きましたが、具体的なことは教えてくれませんでした。
次男はトライアウトの結果を待っていましたが、結局どこのチームからも連絡がありませんでした。トライアウトに参加したことや、どこのチームからも連絡がないことは、正式代理人である東京マネジメント会社は分かっていましたが、何の行動もしてくれませんでした。次男にとって2011年シーズンは、山形のチームからの解雇と、トライアウトの残念な結果という最悪のシーズンになってしまいました。
2012年シーズン
2012年1月になると、日本に滞在している選手代理人の仕事をしている外国人の方から次男に連絡がありました。東南アジアのある国のクラブから次男にオファーがあるということでした。東京ヴェルディユースの元指導者の方にも同じように東南アジアのクラブを勧められていたので、私はこのオファーの話を聞いて不思議に思いました。なので私が直接その外国人の方に連絡を入れました。この外国人の方からの話に、私は衝撃を受けました。話の内容は「息子さんは去年12月にトライアウトに参加した時、その場にいたほとんどの関係者が息子さんに注目しました。息子さんが良いプレーを行ったので、関係者の方々からは、『なぜこの子は山形のチームで試合に出場しなかったのか?なぜ山形のチームから解雇されたのか?』などの質問がありました。しかし、同じ場にいた東京ヴェルディの関係者が息子さんのことをよく言いませんでした。息子さんがヴェルディから移籍した際の人材育成費の支払いをまだ行っていないことや、怪我の多い選手だ、ということを周りの方々に話していました。私も東京ヴェルディの関係者のこの話を聞きましたが、おそらく息子さんには日本国内のクラブからオファーが来るのは難しいと思いました。そこで、私は選手代理人として、息子さんには東南アジアのクラブを紹介しようと思いました。」ということでした。この話を聞いた私は、東京ヴェルディユースの元指導者の方が東南アジアのクラブを勧めた意味が分かりました。ここでもまた、東京ヴェルディの行為が次男を苦しめました。選手を育てるはずのクラブが、なぜこのように選手を抑え込むのでしょうか。次男が東京ヴェルディに何か悪いことをしたのでしょうか。この話を聞いた時、私は本当に悲しく切ない気持ちになってしまいました。東京ヴェルディが人材育成費を払ってないと言うなら、東京ヴェルディがどのような「育成」を次男に行ったのでしょうか。次男は東京ヴェルディに所属していた5年間の間、最低な学問的教育を受けさせられたこと、17歳の若さでヨーロッパにプレーするチャンスを逃したこと、怪我を悪化させられたこと、その怪我の治療のために借金ができてしまったこと、実力を証明出来ないように試合に出場する機会を与えられなかったこと、ヴェルディから移籍する際に高い「人材育成金」の支払いを行うという条件を付けられたことなど、悪いことばかりでした。これが、東京ヴェルディが次男に与えた「育成」でした。このような「育成」で、東京ヴェルディが次男の移籍先のチェコのクラブから約700万円を人材育成費として受け取り、さらに次男からは300万円を受け取ろうとしています。これは、人材育成費ではなく、「人材詐欺費」ではないでしょうか。私は元プロサッカー選手として、そうとしか思いません。東京ヴェルディには人材を育成出来る力と資格がありません。その証拠に、この15年間の間に、日本サッカーの「名門」クラブの東京ヴェルディの元で育成された選手たちの中から、何人の選手が日本代表チームとして活躍していたのでしょうか。そのことを考えると東京ヴェルディには人材を育成出来る力と資格がないことが分かると思います。しかし、次男と私は、次男が負担している人材育成費の300万円の返済を一日も早く返済するつもりでいます。また、次男が怪我の多い選手と言われたようですが、次男の軽い怪我すべては東京ヴェルディで悪化させられた怪我の影響でした。
次男の苦しみと悲しみ(24)苦しみの中で、新たな一ページ始まったが、大人の喧嘩で選手は犠牲になった!!!
2011年シーズン
2011年1月22日、次男の5年目のプロサッカー選手としてのシーズンがJ1のモンテディオ山形クラブで始まりました。モンテディオ山形クラブが次男を獲得したことは、次男自身も、そして私達家族も大変感謝しました。しかし、チームが次男を獲得したときには、すでにチームの構造や形や中心選手たちなどはほぼ決まっていました。当時の監督が、以前から次男の実力を認めていたため、将来的に使う若手選手として獲得した、という印象でした。そのため、正式な試合へ出場するチャンスはすぐに与えられないと、次男も私も予想していました。試合へ出場するチャンスが訪れるよう、次男は一生懸命頑張り、将来的にモンテディオ山形チームの中心選手になれるよう決心しました。
次男は、モンテディオ山形での1年目の練習や練習試合に励みながら、調子のよい時もありましたが、悪い時もありました。悪い時というのは、怪我をした時でした。次男はその1年の間に、足首とひざとハムストリング(股の裏)に軽い怪我をしました。このような怪我することは、以前イタリアで治療を行った際、担当した専門医師から話がありました。2007年に次男が東京ヴェルディで怪我をした時、東京ヴェルディのメディカルスタッフは次男を休ませずに、約半年間試合や練習などに参加させていました。その結果、怪我が悪化してしまい、日本では治せなかったためイタリアで治療を受けることになりました。イタリアの専門医師からは、怪我をしているのに試合や練習に出たことで、その怪我をかばうために下半身のさまざまな箇所に悪い影響が出てしまったことや、怪我が治った後でもしばらくの間、下半身に痛みが出る可能性があること、もし痛みが出た場合、早めに治療を行えば問題にはならない、などという話がありました。イタリアの専門医師からの話の通り、次男にはチェコのチームに所属していた頃から、たまに下半身に痛みが出ましたが、早めに治療をしていたため全く問題がありませんでした。モンテディオ山形に移籍した後にも、また下半身の別のところに痛みが出始めました。なので、早めにチームのメディカルスタッフの皆さんの協力を頂きました。経済的状況が許す限り、チームの定休日を利用して東京まで足を運び、治療を行ったこともありました。結局、次男のモンテディオ山形での1年目は、調子が良い時にも悪い時にも正式な試合に出場するチャンスが訪れませんでした。しかし、若手選手の次男が山形チームに入団した時自分が決心したことを忘れず、将来的にチームの中心選手になれるようにと一生懸命頑張っていました。しかし、大変残念なことに山形チーム全体の状況が悪化してしまいました。リーグ試合の悪い結果が続き、J1から J2に落ちることになってしまったのです。このような状況により、山形クラブ内ではさまざまな動きがありました。
まず、次男の力を認めてくれた監督が解雇され、監督自身が注目していた選手や、監督の推薦で山形に入団した選手数名も解雇されました。その中に、次男も含まれていました。チームの選手たちの間では、監督の解雇は理解できても、監督が推薦した選手をなぜ解雇するのかという疑問が出てきていました。選手たちのその疑問の答えは、後に選手たち自らの調べによって明らかになりました。実は、山形のマネジメントと監督の間に、さまざまな問題があったことが分かったのです。山形のマネジメントは、チームがJ2に落ちたことを利用して、監督に対する報復を行ったのでした。これから山形チームのためにも、自分のためにも頑張ることを決めていた次男にとって、解雇されたことは最大のショックでもあり、また悲しいことでした。
次男のプロサッカー選手としての5年目のシーズンと、モンテディオ山形チームでの1年目のシーズンが悔しくて悲しい結果に終わってしまいました。しかし、山形チームでの短い1年間の間に出会った山形県の皆さんの「優しさ」は、いつまでも忘れないと次男は私に話してくれました。
Sunday, June 5, 2016
次男の苦しみと悲しみ(23)名門クラブの「ごまかし」と「乱用」で、またまた次男を邪魔する。
次男は日程通り、1月11日に山形県へ向かい新しいヘルスメートを作り、J1のモンテディオ山形クラブとの契約にサインしました。契約が結ばれた後の1月14日に、私から東京ヴェルディの新しい強化部長に連絡を入れ、次男が年俸400万円でJ1のモンテディオ山形クラブと契約を結んだことを報告しました。あと、次男が5ヵ月間練習へ参加するためにヨーロッパのさまざまな国を回ったことで経済的状況が悪化し、借金をしてしまったことも新しい強化部長に説明し、次男の人材育成費の負担分の約300万円の柔軟な返済方法を考えて頂きたいとお願いしました。私のお願いに対し新しい強化部長は「そういうことは自分1人で決めることが出来ません。役員の皆さんと相談を行い決めますので、その後、お父さんに連絡します」と、返事をしました。
2日後の1月16日、新しい強化部長から私に連絡がありました。「役員の皆さんと相談した結果、人材育成費の息子の負担分返済方法を決めることが出来ず、免除することも出来ませんが、お父さんはどのような返済方法を考えていますか?」と聞かれました。私は、「次男の経済的状況は悪化しているが、私達は免除して欲しいとは一切考えていません。この問題を解決するために、次男が再び東京ヴェルディに戻ってプレーをしながら返済することを考えていました。だから去年の12月7日に東京ヴェルディの練習へと参加させて頂きました。しかし、残念なことに東京ヴェルディは次男にチャンスを与えてくれませんでした。今、次男はモンテディオ山形クラブと契約することが出来ましたが、少ない年俸ですでに借金したものの返済と東京ヴェルディへの返済とを同時に行うことが出来ません。私自身も次男に代わって、返済をするだけの経済力がありません」と、答えました。私の言葉を受け、新しい強化部長が私にまたしつこく「その状況の中で、息子さんは毎月どれくらいの額を返済出来ますか?」と聞いてきました。なので私は「次男がモンテディオ山形で頑張って活躍すれば、年俸以外の収入を得られるので、大きい金額の返済が出来ると思います。しかし、その時が訪れるまで毎月の返済は1万円か2万円くらいしか出来ません」と返事をしました。私の返事を受けた新しい強化部長が急に熱くなり、「これで話しになりません。東京ヴェルディと息子さんの間には約束があるので、東京ヴェルディとしては人材育成費の息子負担分を一括支払いにして欲しいと考えています。もしそうしないという場合、FIFA(国際サッカー連盟)のルール違反になります」と、言いました。新しい強化部長のその態度は、東京ヴェルディは次男に対して「乱用」していると私は強く感じました。そこで私も熱くなって、「次男は東京ヴェルディから移籍した際、次男自身の意志で移籍したわけではありません。東京ヴェルディのコーチスタッフの方が未成年者の次男を東京にあるマネジメント会社に紹介し付き合いさせた結果、東京ヴェルディから移籍してしまいました。さらに、2007年に次男が東京ヴェルディで怪我をした時、その 怪我に対して正しい治療を行わず悪化させました。これらのことはFIFAのルール違反にはならないでしょうか。以前から東京ヴェルディの運営(フロント)に関わっているあなたが次男のこと全てを分かっているはずです」と、怒りながら新しい強化部長に言いました。その私の言葉に対し、新しい強化部長は数秒間何も言わず、「分かりました」の一言で話を終らせたのです。その後、約1年間東京ヴェルディからは何も連絡もありませんでした。
その東京ヴェルディと私とのやり取り全てを次男の正式代理人である東京マネジメント会社に伝えましたが「様子を見ましょう」という返事しかもらえませんでした。次男にも東京ヴェルディとのやり取りを伝えました。次男は、モンテディオ山形で頑張って、必ず人材育成費の自分の負担分を東京ヴェルディに返済すると私に約束してくれました。それ以降、次男も私も東京ヴェルディに返済することを1日も忘れたことがありませんでした。
次男の苦しみと悲しみ(22)名門クラブの「最低」なマネジメントは、自分が起こした「罪」を隠すため、新たな「疑惑」。
私は、次男がモンテディオ山形へ行く前に、東京ヴェルディの結果を知りたい気持ちになりました。私自身は、出来れば次男が再び東京ヴェルディに戻り、東京ヴェルディとの間の人材育成費の問題を解決したいと思いました。しかし、東京ヴェルディからの結果の報告もなく、次男の正式代理人の東京マネジメント会社も直接東京ヴェルディには連絡を入れないため、私がまた東京マネジメント会社に代わって東京ヴェルディに連絡を入れようと決め、モンテディオ山形から連絡が来た同日の12月31日に東京ヴェルディに連絡を入れましたが、留守のようでした。年が明けてから3回(2011年1月4日、5日、6日)東京ヴェルディに連絡を入れましたが、事務員のあいまいな返事や逃げる返事に、新しい強化部長とは直接連絡が取れませんでした。新しい強化部長の携帯番号が分からなかったので、事務員の方に何回も新しい強化部長の携帯番号を教えて下さいとお話ししましたが、教えてもらえませんでした。
2011年1月6日、モンテディオ山形から次男に連絡が入りました。その内容は、明日(1月7日)、モンテディオ山形とプロ契約を交わすことをマスコミに報道したいということ、また契約にサインしてもらうために1月11日に山形県へ来てほしいということ、東京ヴェルディで所属していた間のヘルスメート(健康診断記)を持ってくるように、ということでした。このヘルスメートというのは、日本サッカー協会の規則により、日本のJリーグに加盟しているどのクラブでも自分の選手達すべてに作る健康記録ですが、選手がそのクラブから日本国内の他のクラブに移籍をする際には、その健康記録を新クラブに渡さなければなりません。そのモンテディオ山形からの連絡により、次男も私も東京ヴェルディからの連絡を諦めました。モンテディオ山形の指示通り1月7日にモンテディオ山形クラブが次男獲得のニュースをマスコミに報道しました。同日、私は東京ヴェルディに連絡を入れ、次男が東京ヴェルディに所属していた5年間の間のヘルスメートの提出を依頼しましたが、事務員からは、今クラブの責任者が誰もいないため何も答えられないと言われました。なので私は、その事務員の方に、次男はモンテディオ山形クラブに移籍することが決まったので、ヘルスメートについて責任者の方にお伝え下さいとお願いをしました。
1月10日、やっと東京ヴェルディの新しい強化部長から私に連絡がありました。私は新しい強化部長に、東京ヴェルディから次男の練習参加の結果連絡がなかったため何度も東京ヴェルディへ連絡を入れたこと、連絡に対して反応がなかったこと、そうこうしているうちにモンテディオ山形クラブが次男を獲得したこと、ヘルスメートについて連絡を入れたことなどを説明しました。それに対して新しい強化部長は、「東京ヴェルディは息子さんを獲得することが出来ません。現在の東京ヴェルディの金銭的状態は悪くて、クラブの将来も不安定な状態です。息子さんを獲得したとしても、少ない契約金になり、それだけでは人材育成費の支払いや息子さん自身の生活が出来ないと思います。モンテディオ山形クラブに移籍することが決まったと聞きましたが、息子さんにとってその方が良いことだと思います。ヘルスメートについては、調べてからお父さんに連絡をします。」と、私に返事をしました。
1月11日、新しい強化部長からヘルスメートのことで連絡が入りました。連絡の内容は、「東京ヴェルディでは息子のヘルスメートが見つからず、息子がヨーロッパのチェコに移籍した際に、このヘルスメートを東京ヴェルディから受け取ったのではないか。もし、受け取ってなければ、ヘルスメートがなくなったことになるので、モンテディオ山形で新しいヘルスメートを作ってもらっても構わない。」という内容でした。新しい強化部長からこのような内容の連絡を受けた私は、何も言わずに、すでに山形県へ行っている次男と東京マネジメント会社にヘルスメートのことで再度確認をしました。すると、次男も東京マネジメント会社もこのヘルスメートを東京ヴェルディから受け取っていないと言いました。なぜなら、次男は東京ヴェルディから日本国外であるヨーロッパのチェコに移籍したため、ヘルスメートを提出する必要がなかったのです。ここで、次男の獲得に関する連絡の有無や対応やヘルスメートのことで、改めて東京ヴェルディは無責任なクラブだと私は思いました。もし、東京ヴェルディが次男を獲得しないなら、なぜ早めにそのことを私達に知らせなかったのか。さらに、東京ヴェルディが次男のヘルスメートをなくしてしまったのであれば、東京ヴェルディには組織的に大きな問題があることになります。しかしこのことが、2006年の次男の怪我のことを思い出させました。2006年に次男は怪我をしました。その怪我は、当時の東京ヴェルディのメディカルスタッフの「怠慢」や「認識と知識不足」により、悪化してしまいました。このことが次男のヘルスメートに記載されていることで、東京ヴェルディが怪我を悪化させた証拠を残さないために、ヘルスメートを私達に隠したことも考えられます。Saturday, June 4, 2016
次男の苦しみと悲しみ(21)名門クラブは、相変らず「無責任」。東京マネジメント会社は、相変わらず「軽い」。
10月26日に、東京ヴェルディの新しい強化部長が、次男の人材育成費の負担分返済のことをクラブ長と相談してから、私に連絡しますと約束してくれましたが、約1ヵ月経っても連絡がありませんでした。そこで、11月22日に私から新しい強化部長へ連絡を入れました。新しい強化部長からは、「東京ヴェルディは息子が所属先のクラブを見つけるまで人材育成費の負担分返済を先送りにするが、半年や1年は待てませんので早めに返済を始めてください。」と言われました。私はこの返事を受け、もしかしたらまた次男が東京ヴェルディに戻って、プレーが出来るかもしれないという希望を持ちました。なのですぐに、次男に連絡を入れそのことを話しました。次男も希望を持ち、6年前に自分を沖縄でスカウトしてくれた東京ヴェルディ関係者の方に連絡を入れ、11月26日に会いました。その東京ヴェルディ関係者の方と次男がいろいろな話をした結果、次男が東京ヴェルディで練習へ参加出来るように、責任者が前向きに検討をする、ということになりました。
その後、次男が練習へと参加させてくれるクラブを見つけるために動いたことにより、明るいニュースがありました。次男の友達の紹介で、当時J1だったモンテディオ山形から、11月30日から12月4日までの間、練習へ参加しに来て下さい、という連絡が入ったのです。さらに、6年前に沖縄で次男をスカウトしてくれた東京ヴェルディの関係者の方からは、12月7日に東京ヴェルディの練習へ参加しに来ても良い、という連絡が入りました。この他にも、東京マネジメント会社で次男を担当しているスタッフの方(東京ヴェルディの「悪質」なコーチスタッフの方の弟)からも連絡が入り、「J2熊本のクラブの練習へ参加出来るから、自分で直接熊本の責任者に連絡を入れ練習へ参加できる期間を調整しなさい。」という指示がありました。すでにモンテディオ山形と東京ヴェルディの練習へ参加する期間は決まっていたので、次男は東京マネジメント会社の指示通り、熊本のクラブとの期間を調整するため、熊本の責任者に連絡を入れました。しかし、熊本の責任者からは「私はあなたのことを聞いてはいませんが、もしかしたら別の人が聞いているかもしれないので、クラブ内の他の責任者へ確認して、東京マネジメント会社へ連絡を入れます。」と言われました。東京マネジメント会社の担当者が、熊本クラブの誰かに連絡を入れ次男のことを話したのかが不明のまま、熊本クラブのことは終ってしまいました。なので、当時J1だったモンテディオ山形とJ2の東京ヴェルディの練習へと参加することになりました。
次男が11月29日に山形県に入り、予定通り11月30日から12月4日まで練習へ参加しました。モンテディオ山形チームの当時の監督が、次男の東京ヴェルディユースの時の活躍を知っていたため、次男のことに注目してくれました。5日間の練習を終えてから、その監督とモンテディオ山形クラブの責任者が次男に1週間以内に結果を報告すると約束してくれました。
12月7日には、予定通り次男は東京ヴェルディの練習へ参加しました。練習への参加が終わると当時の監督は次男に、クラブの運営「フロント」から結果を報告するからそれまで待ちなさいという指示がありました。次男は2つのクラブの練習への参加を終え、あとは結果報告を待つだけでした。
1週間以内に結果を報告すると約束してくれていたモンテディオ山形クラブからは、もう少し時間が欲しいということで12月10日、18日、27日と3回連絡がありました。そして12月28日、モンテディオ山形クラブの責任者から次男に連絡が入り、モンテディオ山形クラブが次男を年俸400万円で獲得することを前向きに検討しているので、(2011)1月6日か7日には最終決定をして連絡を入れますので、それまで待っていてください、と言われました。
一方、東京ヴェルディからの結果報告も次男は待っていましたが、東京ヴェルディからは何の連絡もありませんでした。次男からその報告を受けた私は、12月29日に東京マネジメント会社に連絡を入れました。もし次男がモンテディオ山形クラブと無事に契約を結べば、東京ヴェルディへの人材育成費の次男負担分(約300万円)を会社側が立て替えて返済し、その後、次男が会社側に分割払いで返済することが出来ないかのお願いをしました。しかし、それは断られました。
年が明けた2011年1月6日か7日頃に最終決定の連絡を入れると約束してくれていたモンテディオ山形クラブが、年が明けるのを待たずに、12月31日に次男に連絡を入れました。連絡の内容は、クラブ側が次男を獲得すると最終決定したので、年が明けてから契約のサインをして新シーズンの具体的な日程報告を行う、というものでした。
Thursday, June 2, 2016
次男の苦しみと悲しみ(20)東京マネジメント会社の無責任な対応による、「オオサマ」ますます裸になった。
10月末になると、ヨーロッパでの各国のさまざまなクラブの練習に参加をしている次男の最新情報が入りました。次男はさまざまなクラブの練習へ参加していましたが、その中には本格的な練習が1つもありませんでした。東京マネジメント会社がどうやって各国のさまざまなクラブに連絡をとったか、そしてどうやって次男を紹介したかは、次男にも私にも分かりませんでした。次男は各国のさまざまなクラブへ、東京マネジメント会社から指示されて向かい練習へと参加していましたが、ほとんどのクラブの関係者は次男のことを聞かされていなかったようです。さらに次男は、練習へ参加しても練習試合には出場させてもらえませんでした。また、現地に着いてから目的のクラブが潰れてしまうなど、無責任な対応が少なくありませんでした。各国のさまざまなクラブが悪いと言うよりも、東京マネジメント会社の対応の悪さでした。
次男は約5ヵ月の間、1人で6カ国を回りました。1人で荷物を持って、移動する際には飛行機や電車やバスを利用しながらの日々を過ごしました。この5ヵ月間の旅の経費はそのほとんどが次男の負担で、経済的にも精神的にもぼろぼろになっていきました。次男がチェコのクラブに所属している間に貯めた約100万円を使い果たして、さらに100万円の借金をしました。しかし、5ヵ月の間に、良い結果は得られませんでした。
10月末になると、次男は東京マネジメント会社に日本へ帰国したいと伝えました。なので東京マネジメント会社は、日本国内で次男が練習に参加できるクラブを探し始めました。まだヨーロッパにいる次男へ、東京マネジメント会社から急に連絡が入り、鳥取県のクラブが11月5日の練習に参加させ、11月7日の練習試合に出場させるという話を次男にしました。この連絡に慌てた次男は、11月4日に日本へ帰国しました。その足ですぐに鳥取県に移動し、翌日11月5日の練習に参加しました。そして、翌々日の11月7日の練習試合に出場しました。しかし、当然のことですが、この5ヵ月の間に身も心もぼろぼろの状態になっていた次男は、その練習試合でよい動きを見せることが出来ませんでした。東京マネジメント会社は、なぜ次男の状況を知っているのに、このようなことをしたのでしょうか。確かに鳥取県のクラブの日程や都合もありますが、万全な状態で選手を練習や試合に出場させないと意味がないのではないでしょうか。結局、この鳥取県のクラブでも失敗に終わり、その後東京マネジメント会社は次男に対し、冷たくなってしまいました。この態度により、東京マネジメント会社の無責任さと経験不足な姿が現れてきたと、私は確信しました。次男はヨーロッパでの5ヵ月間や鳥取県のクラブのことにより、東京マネジメント会社だけに頼ってはいけないと感じ、練習へ参加させてくれるクラブを紹介してもらうため、友人や知り合いなどに連絡を入れるようにしました。
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