Monday, March 6, 2023

日本のサッカーは、10年前と比べるとだいぶ良くなっています。 

Tuesday, June 14, 2016

長男と次男の苦しみと悲しみ(まとめ)・・・・このサッカー青年の2人の人生を誰が奪ったのか・・・・

答えは、このブログにあります: soccerinjapan.blogspot.com























次男の苦しみと悲しみ(30)次男は名門クラブから得た誤った人材育成のさまざまな悪い影響が続いている。名門クラブよ、不当に取った息子のお金を返せ。



私は次男のプロサッカー選手としての夢を実現するため、次男を全面的に支えることに決めました。なので、私のふるさとであるエジプトにいる私の兄弟に15千ドル(当時約120万円)を借りることにしました(添付9参照)。そのお金が日本に届くまでは、日本国内のクレジットを利用し、529日から78日までの5週間の日程で、ドイツとアメリカに次男を行かせました。

79日には、次男は元気な姿で日本に帰国しました。次男の下半身の痛みは全てなくなり、完全に体作りが出来ました。次男は日本に帰国した翌日から、獲得してくれるチームを見つけるため、再び頑張り始めました。前回の冬の移籍期間(12)には、東京ヴェルディが流した悪い噂などにより、獲得してくれるチームがありませんでした。次男はその後、東京ヴェルディに謝罪をしましたし、ヴェルディとの仲を取り戻すためにと様々なことを行ってきましたが、東京ヴェルディからは何の協力もいただけませんでした。このようなことがあったのですが、それでも前向きに考えて夏の移籍期間(78)に獲得してくれるチームを探し始めました。

前回の冬の移籍期間には、J118チームとJ218チーム、合わせて36チームにアピールしましたが、2チーム以外の34チームからは全く反応がありませんでした。なので今回の夏の移籍期間には、さらにJFL(日本の3部リーグ)の多くのチームにアピールすることを考えました。

730日に、次男はJFL10チームの関係者に、手紙とプロフィール(添付10参照)と、自分のプレーをアピール出来るハイライト映像(DVD)を送付しました。送付して2日後の81日には、JFLの横浜YSCCというクラブ関係者から次男に連絡が入りました。その内容は、そのクラブは次男の獲得を希望しているが、このクラブは会員クラブであるため、プロ契約と契約金はなしで、次男が会員料金として毎月8千円支払うことになる、という内容でした。現在背負っている金銭的な問題があるため、次男は横浜YSCCの関係者には「考えさせて下さい」と返事をしました。次男は横浜YSCCクラブが自分を獲得したいという申し入れに対し、非常に感謝しました。しかし収入を得られないため、どう生活するのかを考える時間が必要でした。考えている時間の間に、もしかしたら他のJFLのチームから何か連絡が来るかもしれないとの期待もありました。

88日まで様子を見ることにしましたが、結局、他のJFLのチームからは何の連絡もありませんでした。しかし、JFLリーグの夏期移籍期間は815日までとなっているため、次男は横浜YSCCクラブ関係者に連絡を入れ、810日から練習へ参加させて頂くことになりました。次男はアルバイト生活を行いながら今季(12月まで)は横浜YSCCクラブで約4ヵ月プレーを頑張れば、来季からは収入が得られるチームに移籍出来ると考えました。

 813日に、横浜YSCCクラブが次男と正式に約束をしました。次男は今季(12月まで)横浜YSCCクラブの選手として登録をし、月々8,400円の月謝を支払うことになりました。次男本人は、自分はプロサッカー選手として落ちるところまで落ちてしまったと一時期は落ち込んでしまいましたが、しばらくして開き直り、アルバイトを探し横浜YSCCクラブで頑張ろうという気分になっていきました。

 私は元プロサッカー選手として、そしてサッカーの指導者、父親として、当時の次男の気持ちは理解出来ましたが、彼のこれからのことが非常に心配でした。というのは、次男はプロサッカー選手の道を歩んだ時から辛いことばかりで、彼自身の非常に強い精神が弱まり、それがプレーに影響し自分の良さを見せることが出来なくなるのでは、という気持ちがあったからです。

 92日、早速次男が横浜YSCCチームの天皇杯の正式な試合に途中出場し、チームの20の勝利に貢献しました。しかし3日後、チームの練習でひざの前十字を損傷してしまい、サッカー選手にとって最悪な怪我をしてしまいました。その怪我を治して完全復帰が出来るまで、手術とリハビリを合わせての治療が必要になりますが、それには6ヶ月の時間が必要だと言われました。その内、最初の3ヶ月間は松葉杖でしか歩けないため、自由に動けなくなってしまいます。この怪我をしたことで、次男が横浜YSCCチームの正式な試合に出場したのは、1回のみでした。これで次男の2012年シーズンが終ってしまいました。しかし次男は相変わらず強い精神力で手術を受け、リハビリに励み、順調に回復に向いました。2013年6月下旬には、復帰出来ました。

私は自分の子ども3人には、感動させるような褒め方をした覚えはありません。さらに、子ども達のどんなことについても、味方になった覚えはありません。逆に子どもたちは、私のことを「厳しい」父親だと思っているかも知れません。しかし、東京ヴェルディの次男に対する行動を見ると、次男のことを非常に「可哀想」だと思ってしまいます。東京ヴェルディとの9年間の付き合いを振り返ると、私たち家族は東京ヴェルディを愛していたし、完全に信頼していました。しかし、東京ヴェルディは私たちの愛と信頼を、違った意味で解釈したのではないかと思います。非常に残念なことですが、15歳の若さで純粋な気持ちで夢を叶えるために沖縄を出た次男の9年間は、苦しみや悲しみばかりでした。どのような境遇にあってもプロサッカー選手の夢を絶対に諦めない次男を見ていると、彼からサッカーを取ってしまうと何が残るのだろうかと改めて考えています。

2013年6月から現在に至る、次男が東京ヴェルディから得た誤った人材育成のさまざまな悪い影響を抱えながら、J3の横浜YSCCというクラブに「契約金なし」の選手として所属している。
次男は、愛するサッカーを諦めず、アルバイトをしながら頑張っていますが、厳しい金銭的状態による、サッカー選手の規則正しい日常生活が出来なくなってしまいました。その結果、次男はサッカー選手としての良い結果を残すことが出来ていません。
現在の次男の状態は、サッカー選手の活動を続いた場合、結果を残さなければならない。そのため、規則正しい日常生活出来るような資金が必要となります。一方、次男がサッカーを諦めて、一般の社会人になるにしても、資金が必要となります。
私と妻は、2人で年金生活ながら、約4年間の間に出来るだけ次男を支え続きましたが、2人の生活は大変苦しくなっているため、これ以上彼を支えることが出来ません。そのため、上に述べたように、東京ヴェルディが不当に取った次男の¥8,632,784(治療費と人材育成費) を返させていただきたいと思います。
日本スポーツ界及びマスコミと各サッカークラブチーム関係者の皆様には、行動を求めています。ぜひ、行動を起こして下さい。
 最後になりますが、我が家全員がただ東京ヴェルディを信頼しただけです。しかし、東京ヴェルディが希望を生み出すことがしませんでした。さらに、東京ヴェルディが超えてはならないものを超えてしまいました。
次男の将来をこれ以上絶望的にならないように、そして東京ヴェルディ及び日本サッカー界には、悪い影響が当たらないように、ご理解と協力をお願いいたします。







 

Sunday, June 12, 2016


次男の苦しみと悲しみ(29)名門クラブは、次男を苦しみさせながら潰してしまいました。


日本サッカー協会の規則により、次男のようなどこかのチームと契約のない選手たちが、最大限の331日までに日本国内で獲得してくれるチームを探さなければ、つぎに国内でチームを探せるのは夏の移籍期間(7月・8月)になってしまいます。次男や私のチーム探しは、残念な結果で終ってしまい、331日になっても、日本国内での次男を獲得してくれるチームはありませんでした。

41日、「日本選手会」から次男に、獲得してくれるチームが見つかったのかを確認する連絡がありました。次男が、まだ見つかっていないことを伝えると、「日本選手会」がアメリカの2部リーグのチームを紹介してくれました。次男がそのチームに興味があれば、4月から10月までの半年間契約となり、月給は約30万円という条件でした。次男は迷わずに日本選手会に紹介して頂くことにしました。日本選手会は、選手会と連携しているアメリカに滞在している日本人の直接連絡を入れるようにと次男に指示しました。次男は選手会の指示通り、その日本人と連絡を取り合いました。その結果、次男はそのアメリカのチームの練習に422日から58日までの2週間参加することが決まりました。

43日、次男はアメリカのチームの練習へ参加するため準備を始めることを、東京ヴェルディに伝え、東京ヴェルディの責任者にはその準備として東京ヴェルディと一緒に練習をさせて頂きたいとお願いしました。しかし、東京ヴェルディの責任者は、練習への参加を断わりました。次男は東京ヴェルディとの仲を修復しようと頑張りましたが、東京ヴェルディ側はその次男の行動に理解を示さず、次男は最後まで苦しみました。

次男はアメリカのチームの練習へ参加するため、友達の大学チームとの練習を行うことが出来ました。しかし残念なことに、次男はその大学のチームと練習をしている間にハムストリング(股の裏)を痛めてしまいました。そのとき、次男はすでにアメリカへ行く日程と準備を進めていたので、アメリカのチームを紹介してくれたアメリカ在住の日本人の方に相談をしました。その結果、この方の協力で、アメリカでの練習へ参加できる日程が422日から56日に伸ばすことが出来ました。さらに次男には、ハムストリングの治療が出来るようにとアメリカの有名なスポーツ怪我専門のメデイカルセンターを紹介してくれました。これで、次男はハムストリングの治療とアメリカのチームの練習に参加するため、426日にアメリカへ旅立ちました。

同日、次男はそのスポーツ怪我専門のメデイカルセンターに到着しました。このセンターでは、選手たちが自分の怪我を一刻も早く治すように、治療や宿泊や食事などの設備の全てがそろっていました。このセンターでは、初めて来た選手の健康診断と怪我の経歴を徹底的に調べます。427日から、10日間の治療の日程が始まりました。

まず初めに、健康診断と怪我の経歴を細かく調べられました。その結果、5年前の東京ヴェルディで悪化させられた怪我をかばうため、下半身のさまざまなところに悪い影響を与えていることが分かりました。その悪い影響の大きなものは、骨盤の「ゆがみ」です。骨盤の「ゆがみ」により、ハムストリングや膝や足首などの痛みが出てきて、そういう痛みを防ぐために2週間から4週間の治療とリハビリで骨盤の「ゆがみ」を治す必要があるという結果でした。

次男はアメリカのチームの練習へ参加する日程は56日になっていましたが、これに間に合うか心配をしながら治療とリハビリに励みました。アメリカのチームとの懸け橋になっている日本人の方が、チームの練習へ参加することを気にしないで、まずは怪我を治すことが一番大事だからと次男を励ましてくれました。

次男は2週間の治療とリハビリを終えました。しかし、骨盤の「ゆがみ」はまだ約70%しか元に戻っておらず、さらに2週間の治療とリハビリが必要という結果が出ました。完全に治るまでは激しい練習や試合などには参加しないように、という指示がありました。怪我を完全に治したいと思っていたものの、治療とリハビリにかかる費用は全て自費であったため、次男も私も金銭的な状況が悪化するところまで来てしまいました。それで仕方がなく、次男は治療とリハビリを続けず、アメリカのチームの練習へも参加せず、516日に日本へ帰国しました。

帰国した次男は、日本国民健康保険を利用して、残りの治療とリハビリを日本で続けようと考えていました。しかしそこには、さまざまな困難がありました。それは、日本にあるスポーツ怪我専門施設の規則では、日本代表の経験のない選手たちがそのスポーツ怪我専門施設を利用することが出来ないのです。別のスポーツ怪我専門の施設もありましたが、その施設では国民健康保険を利用することが出来ないため、治療費すべては自己負担となります。もし仮にその施設で治療やリハビリを受けた場合、1回の治療とリハビリにつき1万円の治療費が必要になります。さらに、スポーツ怪我の専門医師から診断を受けるために、2ヶ月ほど待たなければならない、ということもありました。このことから、日本で治療を行うためには、高い治療費と時間がかかることが分かりました。どうにか良心的な料金で治療を行えないかと、私と次男はさまざまな方法を調べ、また、いろいろな人に相談しました。その結果、1番ベストな方法として、ドイツとアメリカに行って治療を行うということでした。



Friday, June 10, 2016


次男の苦しみと悲しみ(28)名門クラブの「差別」と「悪用ネットワーク」が、沖縄にやってきた!!!FC琉球よ、「ブロウタス...おまえもか」。



次男が36チームに出した手紙やDVDに対する反応をくれたのは、たったの2チームでした。まずJ1のサンフレッチェ広島から、228日に次男に直接連絡がありました。サンフレッチェ広島チームは、次男に注目していましたが、当時のチームの状況により次男を獲得出来ませんという、丁寧な断りでした。翌229日には、当時J2の湘南ベルマーレからは、すぐにでもチームの練習に参加して下さいという連絡内容でした。思った以上に早く湘南ベルマーレから練習への参加に関する連絡が入ったので、34日以降にして頂くことをお願いしました。それに対して、湘南ベルマーレが親切に次男のお願いを受け入れてくれました。次男が湘南ベルマーレの練習参加を34日以降に伸ばしたことには理由がありました。それは、湘南ベルマーレに迷惑をかけないように、34日までには東京ヴェルディから人材育成費返済に関する解決の返事をもらってから、練習に参加した方が良いと考えたからです。しかし、34日まで待っても東京ヴェルディからは、連絡がありませんでした。湘南ベルマーレには34日まで待ってもらっていたので、与えられたチャンスを逃がさないようにと35日に湘南ベルマーレに連絡を入れ、練習への参加を始めたいと伝えました。しかし、その時すでに湘南ベルマーレには別の3人の練習生の選手が練習へ参加していたので、次男は参加の日を伸ばされました。

38日に、湘南ベルマーレから次男に連絡が入りました。その内容は、湘南ベルマーレが次男を獲得することが難しくなっているが、330日までには検討をします、ということでした。湘南ベルマーレの練習へ参加できる可能性がほぼなくなってしまいました。

同日、次男は東京ヴェルディとの人材育成費返済に関することを聞くために、東京ヴェルディの責任者に連絡を入れました。責任者には、現在の自分の状況を話し、まだ所属クラブが見つかっていないことを伝えました。この話を受けて責任者は、次男を獲得してくれるチームを探すから、314日まで待ちなさいと、次男に言いました。

314日になったので、次男は東京ヴェルディの責任者に連絡を入れました。しかし、まだチームを探している途中で、ヴェルディの監督と相談を行っているから319日まで待ちなさいと責任者は次男に伝えました。

約束の319日になったので、次男は再び東京ヴェルディの責任者に連絡を入れました。責任者からは、322日に会いましょうと言われたので、322日に、次男は責任者に会いに行きました。次男と責任者は、まず人材育成費返済の問題について話し合いました。責任者は次男に、この問題を白紙に戻し、次男がどこかのクラブに所属出来るまで返済をしなくても良いということを伝えました。そしてさらに、ヴェルディの練習へ参加するのはもう少し待ちなさいとも言われました。また、履歴書を送るようにと指示されたので、次男は提出することを責任者に約束しました。

329日に、様子をうかがうために次男が東京ヴェルディの責任者へ連絡を入れました。しかし、責任者からは「何も変わりはありません」としか言われませんでした。次男がこのような行動を行っている間に、私も沖縄で動き出しました。沖縄県地元のFC琉球というチームに次男を獲得してくれるかの連絡を入れました。FC琉球というチームは、日本JFLリーグに加盟しているチームですが、約10年前までは九州の地区リーグのチームでした。九州地区リーグの時から、当時のチームの指導者と付き合いをさせて頂き、さまざまな協力と応援を行ってきました。その後、チームが日本JFLリーグに上がりましたが、私がお付き合いをさせて頂いていた指導者や運営「フロント」の方の何人かが解雇されました。しかし、私はチームの応援を続け、何人かの関係者といつも顔会わせをしていました。そのため、私は自信を持ってFC琉球関係者に、次男の獲得に関する相談をしました。以前からFC琉球チームの経済的状況があまりよくないことは認識していたため、もし仮に次男がFC琉球チームに所属することができれば、実家に住むので契約金の必要はありませんと伝えました。しかし、実家とチームの練習場が離れているため、月々5万円を交通費として頂ければとチームの関係者にお願いしました。しかし、チームの関係者が「現在はチームに選手がたくさんいるので、新しい選手を獲得する必要がありません。練習へ参加させることは出来ますが、必要な選手でいても契約金も交通費もなしで獲得を考えます」と、言われました。しかし私は、この返事に対し何も悲観的な考えを持ちませんでした。それはチームの経済的なことが問題だと思ったからです。私は次男にはサッカーをして欲しい気持ちがありましたが、FC琉球の練習場と実家が離れているため、交通費という壁がありました。その壁を乗り越えるために、次男がアルバイトをしながら交通費を稼ぎ、それでサッカーを続けることができれば良いと私は思いました。沖縄県は、日本全国でも失業率が非常に高く、サッカーとアルバイトを両立することができる環境を作ることが非常に難しいです。しかし私は、何とかなると考えました。

そういうことを考えている内に、沖縄の地元の新聞ではFC琉球チームに関する愕然とする情報が次々に報道されました。FC琉球チームが日本本土からさまざまな新しい選手をプロ契約で獲得していることや、前からチームに所属している42歳の選手との契約を更新する、というようなことでした。FC琉球が次男の獲得を断わった理由は、単なる悪い経済状況が理由ではありませんでした。どうしてFC琉球は次男を獲得しなかったのかを、私は考えました。私は元プロサッカー選手で、サッカーの指導者としてずっとFC琉球を応援し、チームの選手たちの力とレベルを認識しています。もしその中に東京ヴェルディとモンテディオ山形、そしてヨーロッパでのプレー経験がある若手選手の次男が入ると、大きな役割を果たしてくれると思いました。もちろん、FC琉球チームの方針や考え方などがあることは認識していますが、FC琉球関係者が次男の獲得を断わった理由は、チームの方針や考え方などではなく、別の理由があることが分かりました。それはまず、私がFC琉球チームの関係者に次男の獲得をお願いした当時のチーム監督やスタッフの方は、東京ヴェルディの元関係者でした。その方たちは、東京ヴェルディが流した次男の悪い噂を聞いているため、次男の獲得を断わったのです。私は、東京ヴェルディの「悪用ネットワーク」の働きがすごいことを実感しました。FC琉球関係者が次男の獲得を断わったのには、もう1つ理由がありました。それは、FC琉球チームが九州地区リーグからJFLリーグに上がった時から、なんらかの理由で沖縄出身の選手やスタッフなどを使わないようにしているということです。私はこの事実を2009127日のFC琉球のシンポジウムで、チームの会長に指摘をしましたが、会長からは曖昧な説明しかもらえませんでした。この2つの理由で、FC琉球責任者が次男の獲得を断わったことが明らかになりました。私は、次男がFC琉球チームへ所属することを、諦めてしまいました。





Thursday, June 9, 2016


次男の苦しみと悲しみ(27) 田舎の少年は、都会の名門クラブに振り回された!!!


4日後の28日、東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡が入りました。その内容は、次男が送った東京マネジメント会社との契約を解約する手紙が届いたことの確認と、弁護士側が東京ヴェルディと次男の人材育成費返済に関する新たな支払契約文書を送付するということでした。人材育成費返済に関する新たな支払契約文書が届いた際には、弁護士側に連絡を入れるように、という指示もありました。それにより、弁護士が東京ヴェルディと次男が直接会えるようにするということでした。しかし、もし東京ヴェルディと次男が直接会うことになった時には、代理人やお父さんなどと一緒に来ないで、1人で来るようにということも言われたそうです。次男は「もしこの指示に従った場合、再び東京ヴェルディに戻ってプレーすることが出来ますか?」と聞きましたが、弁護士からは「それは約束出来ません」と言われました。

29日、次男のところには東京ヴェルディの弁護士から送られた手紙が届きました(添付7参照)。前日に弁護士から指示された通り、次男は弁護士に連絡を入れ、手紙が届いたことを伝えました。弁護士からは、その手紙の中の人材育成費返済に関する新しい契約文書を読んでから、署名をして準備をしていなさいと指示しました。その間に、弁護士が東京ヴェルディに連絡を入れ、東京ヴェルディと次男とが会う時間を決めるということでした。

次男が弁護士に連絡を入れた2時間後、再び東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡がありました。弁護士が東京ヴェルディと連絡を取り合った結果、東京ヴェルディの責任者と次男が会う日が214日の午後1時半になったということでした。ヴェルディの責任者と会う時には、署名した人材育成費の新しい契約書を持ってくるようにと指示を受けました。

東京ヴェルディの責任者と会う214日の午後1時半に、次男は東京ヴェルディに行きました。しかし、東京ヴェルディの責任者の誰1人もいませんでした。次男は事務員に、責任者と会う約束があることを伝えると、この事務員が責任者へ連絡を入れ、責任者と直接話しをさせてくれました。責任者は次男に謝りながら、「弁護士からは、来週の221日に会う約束になっていると聞きました」と言われました。次男は、「大丈夫です。また来週221日に出直します」と、東京ヴェルディの責任者へ伝えました。

そして221日に、再び次男は時間通り東京ヴェルディへ行き、責任者と会うことが出来ました。東京ヴェルディの責任者は、次男から次男の署名入りの育成人材費返済に関する新しい契約文書を受け取りました。そして次男に「あなたは今収入がないから、この契約は厳し過ぎます。改めて弁護士と相談をし、あなたが収入を得るようになってから、返済を始めるようにします。」と、言ってくれました。責任者は、その契約文書に東京ヴェルディの署名をせず次男に返しました。そして、責任者は「あなたの反省している気持ちは伝わっているが、現在の東京ヴェルディの状況ではあなたを獲得することが出来ません。その代わり、あなたのことを出来るだけ他のクラブや選手の代理人たちに紹介をします。ですが、今は34日のリーグ開幕に向けて忙しいので、それまで待っていなさい。」と、話してくれました。

東京ヴェルディがこのように「親切」な「人間的」行動を行ってくれたのは、次男とヴェルディとの8年間の付き合いの中では初めてのことでした。本当に東京ヴェルディが次男との間の人材育成費返済の問題を解決してくれるのかを心配していましたが、私たちは東京ヴェルディを信じ、ヴェルディの責任者に言われたとおり34日のリーグ開幕まで待つことにしました。東京ヴェルディの責任者は、次男を他のクラブや選手代理人たちに紹介をすると話してくれたので、その言葉を信じ、次男自身も所属出来るクラブが見つかるように動き出す決心をしました。

正式代理人であった東京マネジメント会社との契約を解約した次男は、獲得してくれるクラブを自分自身で必死に探し始めました。34日に東京ヴェルディからの返事をもらうまでの時間を、きっちり利用することにしたのでした。

まず、日本国内に所属出来るクラブを見つけるため、去年トライアウトの場で東京ヴェルディ関係者が流してしまった「次男の悪い噂」を消さなければならないと、次男は考えました。トライアウトの場で東京ヴェルディの関係者は、次男が人材育成費を返済しない、怪我の多い選手であるという噂をその場にいた他のクラブの関係者へ流しました。それを消すために、223日・24日・25日の3日間の間、姉の協力でJ118チームの関係者とJ218チームの関係者、合計36チームに手紙(添付8参照)と、自分のプレーのハイライト映像(DVD)を送付しました。手紙の内容は、次男と東京ヴェルディとの間の人材育成費返済問題は解決に向っていることや、サッカー選手としてプレーをさせて頂けるチャンスを与えてほしいというお願いでした。もし、どこかのチームから反応があれば、おそらく1週間か10日後になると次男は考えていました。そうすると、ちょうどその時東京ヴェルディからの人材育成費返済に対しての返事をもらっているはずなので、安心して反応してくれたチームの練習へ参加出来るという次男の計算でした。さらに次男は、日本国外の選択も視野に入れて動きました。東京ヴェルディから返事が返ってくるのと、36のチームへ送付した手紙やDVDに対する反応が来るまでに少し時間がありました。その時間を利用して、東京に滞在しているサッカー選手代理人の外国人の方の紹介で、東南アジアのある国に行きました。しかし、現地に着いてからそこのクラブ関係者から聞いた条件と、東京に滞在している外国人代理人から聞いた条件とが完全に異なっていました。なので、そういうことを怪しいと感じた次男はすぐに日本に帰国しました。







Wednesday, June 8, 2016


次男の苦しみと悲しみ(26)名門クラブの「乱用」が、超えてはならないものを超えてしまいました。「絶対許せない」。



東京ヴェルディには、たくさんの辛いことを突き付けられてきましたが、次男も私たち家族も、東京ヴェルディと戦うことや文句を言うことはしてきませんでした。それは、サッカーの道しか残っていない次男の将来を守るためでした。私たち家族は、東京ヴェルディとの仲をこじらせると次男がいじめられると感じていました。そのため、積極的な行動を始めることにしました。

2012124日、妻が8年前に沖縄で次男のことをスカウトしたヴェルディ関係者の方に連絡を入れ、涙を流しながら「次男を助けて下さい」と、お願いをしました。その方は、「クラブの運営『フロント』にお母さんの気持ちをお伝えします」と約束をしてくれました。

126日に、今度は私が、次男が東京ヴェルディに入団した当時、ユースの監督を行っていた方に連絡を入れ、ヴェルディと仲良くしたい気持ちを伝えました。その監督も、「お父さんの気持ちをクラブの運営『フロント』にお伝えします」と約束してくれました。その直後、この監督から私に連絡がありました。「お父さんの気持ちをお伝えしましたから、クラブからお父さんに連絡が入ります」と言われました。

127日、次男が姉の協力を得て、東京ヴェルディの運営「フロント」に謝罪の手紙を送りました(添付5参照)

129日、次男が自分のさまざまなプレーのハイライト映像(DVD)を、当時の東京ヴェルディの監督に送りました。しかし、妻や私、次男の連絡や手紙などに対して、東京ヴェルディから何の反応もありませんでした。

23日、東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡が入りました。その内容は、次男が人材育成費の自分の負担分約300万円を東京ヴェルディに返済する意志があるのかどうかの確認でした。それに対し、次男は必ず返済することと、再び東京ヴェルディに戻りプレーしたい意志を弁護士に伝えました。次男の意志を確認した後、弁護士は、もし東京ヴェルディに戻った場合、契約金をいくら欲しいかを聞いてきました。この質問に対し次男は、今は兄と暮らしているから生活出来る契約金だけで十分と伝えました。弁護士は、今の次男の気持ちを東京ヴェルディに伝えて、再度次男に連絡を入れると約束してくれました。

同じ日に、再度東京ヴェルディの弁護士から次男に連絡が入りました。その内容は、人材育成費の300万円の返済に関して新たに正式契約を結ぶため、弁護士から次男へ正式契約書を送付し、次男に署名を行ってほしいということでした。そしてさらに、東京マネジメント会社との選手マネジメント契約がある限り、東京ヴェルディが次男と直接話すことができないため、すぐにこの会社との契約を解約しなさい、という指示でした。次男は、弁護士の指示に従うことを約束しました。

この話を聞いた私は、なぜ東京マネジメント会社との契約を解約するよう指示したのか、以前から東京ヴェルディと東京マネジメント会社との間に何か問題があると思っていたので、徹底的に調べてみました。その結果、次男が8年前に始めて東京ヴェルディに入団したとき出会った「悪質」なコーチスタッフの方が次男に行った行動と全く同じように、東京ヴェルディに所属していた何人かの選手を東京マネジメント会社に紹介し、ヴェルディから移籍させていたことが分かりました。さらに、東京ヴェルディの女子サッカーチームの柱の選手達を東京マネジメント会社に紹介し、東京ヴェルディから関西の女子サッカーチームに移籍させていました。このことが東京ヴェルディの運営「フロント」にばれてしまい、この「悪質」なコーチスタッフの方は解雇され、そのことがスポーツ新聞に大きく取り上げられていました。このようなことが起きたため、東京マネジメント会社は次男と東京ヴェルディとの間の問題が発生した時、東京ヴェルディとのやり取り全てを私にさせていたのです。東京ヴェルディにとって東京マネジメント会社は、最大の敵となっていたことが分かりました。私たちは東京ヴェルディとの仲を良くしたいという一心で、東京ヴェルディの弁護士からの指示に従い、東京マネジメント会社と次男との間のマネジメント契約を解約することにしました。

24日、次男は東京マネジメント会社との契約を解約するための手紙をマネジメント会社へ送付しました。同じ日に、その手紙のコピーを東京ヴェルディにも送付しました(添付6)