Wednesday, June 1, 2016


次男の苦しみと悲しみ(19)「オオサマ」裸になった。名門クラブと東京マネジメント会社の怪しい行動が続いている。


この時期、次男にとって大変厳しい時期となりました。それは、世界中全てのサッカー選手が他のクラブに移籍をする時期は決められており、その時期以外には移籍することができません。移籍できる期間は、冬であれば1月・2月で、夏であれば7月・8月です。なので、6月に「FKテプリツェ」と契約を終えた次男は、ヨーロッパにいても日本に戻ったとしても、一番近い夏の移籍の期間である7月・8月を待たなければならない立場に置かれてしまいました。

そこで、東京マネジメント会社が7月の移籍を待たずに、次男がヨーロッパで練習に参加出来るクラブを探し始めました。次男は、東京マネジメント会社の指示のもと、6月8日~11月4日までの約5ヵ月間、ヨーロッパでの長くて苦痛な旅が始まりました。次男は、ルーマニア、フランス、ウクライナ、ルーマニア、トルコ、ルーマニア、ポーランド、イタリアという順で国々を周り、東京マネジメント会社の指示のもと、さまざまなクラブで練習へと参加しました。

次男がさまざまな国を周りいろいろなクラブでの練習へと参加をしている間(6月8日~11月4日)、私は東京マネジメント会社と、次男に関する情報交換をたまに行っていました。夏の移籍期間である7月・8月になっても、なかなか次男の移籍先のクラブが決まらないため、東京マネジメント会社が心配し始めました。というのも、次男がヴェルディからチェコのクラブに移籍をする時に約束した、移籍に関する人材育成費の負担分の30%(約300万円)を、そろそろヴェルディ側に返済しなければならない時期になったからです。東京マネジメント会社がチェコのクラブから預かっていた人材育成費の70%をヴェルディに分割払いしている状況が続いていたのですが、そろそろこの70%の支払いが終わり、次は次男の負担金である30%分の返済が始まるという時期に近づいていました。しかし、チェコではこのような悪い状況が起こったため、次男はヴェルディに返済出来る状態ではありませんでした。

10月の初め頃、東京マネジメント会社で次男のことを担当している、「悪質」なヴェルディのコーチスタッフの方の弟から私に連絡が入りました。その連絡の内容は、お父さん(私)からヴェルディ側に連絡を取って、次男の現在の状況を説明し、人材育成費の残りの分の支払いを次男の所属先のクラブが決まるまで、待ってもらいましょう、というものでした。この連絡を受けた私は、がっかりしてしまいました。東京マネジメント会社は次男の正式な代理人であるのに、なぜ私にこのような重大なことを頼むのだろうかと、私は疑問に感じました。しかし私は、弱い立場にいる次男を助けるために、東京マネジメント会社の言う通りに、ヴェルディ側に連絡を入れることにしました。

ヴェルディの人事異動により、以前ずっとやり取りを行っていた強化部長が解雇となったため、6年前に次男を沖縄でスカウトしてくれたヴェルディ関係者の方と10月8日に連絡をとりました。その方に、東京マネジメント会社から頼まれたことを伝えましたが、この方には権限がないため新しい強化部長と相談をして、私に連絡を入れると約束してくれました。10月22日に、約束通り私に連絡が入りました。その内容は、「新しい強化部長と相談した結果、お父さんではなく、次男の正式な代理人である東京マネジメント会社から新しい強化部長に連絡を入れさせて下さい。」というものでした。私はこの内容をそのまま東京マネジメント会社の次男の担当者に伝えましたが、この担当者は直接ヴェルディ側と連絡を取りたくないようでした。そのため、再度ヴェルディに連絡するようにと私に頼みました。この返答を受けて、以前から感じてはいましたが、ヴェルディ側とこの東京マネジメント会社との間に何か問題があることをさらに強く感じるようになりました。しかし、私には何もできないため、次男のためにこの担当者の頼みに従い、10月22日、23日、25日にヴェルディの新しい強化部長に連絡を入れました。3回ともこの新しい強化部長と話しが出来なかったため、毎回伝言を入れました。

10月26日、新しい強化部長から私に連絡が入りました。この人は以前からヴェルディの運営「フロント」の方でしたので、次男とヴェルディとの間の流れ全てを知っていました。私は、この新しい強化部長に次男の現在の状況を説明し、次男の所属先のクラブが決まるまで人材育成費の残り分の支払いを待っていただきたいとお願いしました。これに対し新しい強化部長は、自分1人で決められないから、クラブ長と相談をした後で私に連絡を入れることを約束してくれました。私は、ヴェルディ側と連絡を取ったことや新しい強化部長と話した内容を東京マネジメント会社の次男の担当者へ伝えました。そしたら、この担当者が「お父さんが今度ヴェルディの新しい強化部長と話しをする時、息子がヴェルディから移籍をする際、わが会社はその移籍に関わったということを絶対に言わないで下さい。」と、強く言われました。この言葉に、この会社に対する私の疑問はさらに大きくなりましたが、とにかくヴェルディの新しい強化部長とクラブ長との相談の結果を待つことにしました。


次男の苦しみと悲しみ(18)東京マネジメント会社とチェコのクラブの曖昧な対応

2010年シーズン


2009年~2010年のチェコの新シーズンが始まる前の2009年8月に、私が気になっていた監督へのコミッションの支払いについて再び東京マネジメント会社に相談しました。しかし、東京マネジメント会社がこのことについてどのような対応を行うのかは結論が出ないままで、いつか社長が東ヨーロッパへ行く際に対応すると言われました。

そうこうしているうちに、新シーズンが始まりました。このシーズンは、次男にとってチェコでの2つ目のシーズンでした。私は、このシーズンで次男が活躍すれば、西ヨーロッパの各国のクラブにスカウトされるのではないかと期待していました。

 しかし、2009年~2010年シーズンの前半(2009年8月から12月まで)の15試合の内、次男が途中出場していたのはたったの5試合でした。それ以外は、4部リーグのBチームの試合にまわされました。非常に反則や荒いプレーが多くて、「アメリカンフットボール」のようなサッカーの4部リーグの試合でも、クラブの報道によると次男は活躍していました。シーズンの後半(2010年2月~5月まで)が始まると、同じように次男は4部リーグのBチームの試合にまわされていました。

2月初旬のある4部リーグのBチームの試合で、次男は相手チームの選手に強く蹴られるということが起きました。その日は雪が降っていたため、サッカー場の回りのトラックには雪が積もっていました。相手の選手に強く蹴られた次男は、そのトラックに飛ばされ、次男の右ひざは積もっていた雪にぶつかり大怪我をしてしまいました。しかし、怪我をして約1ヶ月経っても、クラブが次男の怪我を診断せず、専門の病院にも連れて行きませんでした。東京マネジメント会社の話によると、当時、このクラブは非常に厳しい経営状況だったようです。クラブが何もしないので、次男は約1ヶ月間、怪我をしたまま家で我慢していましたが、日本で加入したスポーツ保険を利用し、3月8日にクラブの許可を得て怪我の診断のためイタリアへ旅立ちました。イタリアでの診断の結果は、右ひざの半月板の損傷でした。治療方法としては、外科的な手術と、術後のリハビリでした。完全復帰まで10週間を要するということでした。次男はイタリアで3月19日に外科的な手術を無事終え、その後のリハビリにも励み、5月31日に完全復帰できる状態となりました。

6月1日、次男がチェコに戻ると衝撃的なことが2つ起こっていました。まず、次男が怪我したときからとその怪我を治療している間の2月から5月までの約4ヵ月間の給料を、クラブ側は次男へ支払っていませんでした。さらに、クラブ側が次男との契約を解約する、という話も出ていました。次男がチェコに戻った時、ちょうど東ヨーロッパに居た東京マネジメント会社の社長が、6月2日にチェコへ向かい、クラブ関係者と話しをしました。社長から聞いた話では、クラブの大きなスポンサーであるガラス製品の会社が潰れてしまい、クラブの経営が悪化していた、というものでした。経営悪化と、次男が怪我で3ヵ月間チームと離れ活動していなかったことを踏まえ、クラブ側は次男との契約を解約する、ということでした。マネジメント会社とクラブとの話し合いの場に同席していた次男の話によると、東京マネジメント会社の社長は、このクラブ側の話を聞いてもクラブに何の議論や文句などを言わずに話を終らせてしまった、ということでした。しかし、クラブの会長は親切に次男へ支払われなかった4ヵ月分の給料を支払ってくれました。2010年6月2日、次男とチェコの「FKテプリツェ」クラブとの2年半の契約は残念な結果で途中で終ってしまいました。

Tuesday, May 31, 2016


次男の苦しみと悲しみ(17)「東」ヨーロッパにも「悪」がいる!!!


日本への帰国が近くなると、クラブのマーケティングマネージャーが私を食事へと誘ってくれました。マーケティングマネージャーと2人のマネジメントスタッフと食事を頂きながら、いろいろな情報を聞くことができました。マーケティングマネージャーからは、このようなことを言われました。「我がクラブは、あなたの息子にとって、西ヨーロッパ各国のクラブへの軒道になります。毎週末、チェコ1部リーグの試合を見に、さまざまなクラブのスカウトメンバーがチェコを訪ねてきます。特に隣のドイツのブンデスリーガのスカウトメンバーがよく来ます。あなたの息子は若手選手としては非常にポテンシャル(可能性)がある選手で、ドイツでプレーするチャンスが多いです。それは、あなたの息子本人自身にも、そして我がクラブにとっても大きなビジネスとなります。しかし、それを実現するためにあなたの息子は次の2つのことをしなければなりません。まず、怪我をしないことです。我がクラブはチェコのスポーツ保険が高いため加入していません。普通の健康保険に加入しています。しかし、普通の健康保険を利用して普通の病院で治療を受けても、スポーツでの怪我のほとんどのケースは、治すことができません。場合によって、選手をスポーツ怪我専門の病院があるドイツまで行かせています。これは、クラブ側が負担をしています。このような状況のため、息子さん自身が個人でスポーツ怪我の保険に加入する必要があります。さらに、息子さんが我がクラブ組織とプロ契約を交わしていますが、チームの監督と個人契約を交わさなければいけません。息子さんは1部リーグのAチームの試合に一定の出場をするため、監督にコミッション(賄賂(わいろ))を支払わなければなりません。そうしないと、監督が息子さんを4部リーグのBチームにまわしてしまいます。西ヨーロッパのスカウトメンバーはAチームの試合しか見ないため、もしBチームにまわされると、息子さんがスカウトされるチャンスを失ってしまいます。お父さん、ぜひ息子さんがこの2つのことを守れるように、皆でがんばりましょう。」ということでした。

私はこれに対し「息子には東京マネジメント会社があるので、私個人が決めることはできません。日本に帰国した後、そのマネジメント会社に今の話を伝えてから決めましょう。」と、返事をしました。この話に私は驚きませんでした。なぜなら、東ヨーロッパ各国の悪い経済状況によるサッカー界での非常識なことがたくさんあることは、ずっと聞いていました。なので、次男に余計な心配をさせないよう、次男には何も言わずに日本へ帰国しました。

 日本に帰国後、すぐに東京マネジメント会社に連絡を入れ、チェコでのマーケティングマネージャーから聞いた2つの話について伝えました。マネジメント会社は、すぐに日本国内のスポーツ保険専門の会社で、次男を保険に入れました。その保険は、日本国内・国外でも使える保険でした。監督へのコミッションを支払うことについては、次男がクラブ組織と契約を交わす時、マネジメント会社側の責任者が立会いしていましたが、監督にコミッションを支払うという話は一切なかったので、マネジメント会社側が私に「この点については様子を見ながら検討をします」と話してくれました。その後、マネジメント会社側が、次男のことに関して英語でコミュニケーションが出来る日本人スタッフの方に任すことにしました。それ以降、その方が社長と相談をしながら次男のことを決めるようになりました。この人は、次男が初めて東京ヴェルディに入団したときに出会った、あの「悪質」なコーチスタッフの方の弟でした。これまで私は、何かあるとマネジメント会社の社長に直接連絡を入れていましたが、それ以降は「悪質」なコーチスタッフの方の弟と、やり取りを行うことになりました。

 私は、チェコにいる次男の様子を、ずっと見ていました。次男は、1部リーグのAチームの試合には途中出場をしていましたが、一定の出場はありませんでした。さらに、4部リーグのBチームの試合にもまわされた時がありました。2008年~2009年シーズンが2009年5月に終ってみると、次男が1部リーグのAチームに途中出場した試合数は、シーズン後半の15試合の内の5試合とチェコカップの完全出場の1試合で、1得点と1アシストの結果でした。その結果は、シーズンの後半でチームに入団をしたばかりの若手選手の次男にとって、まずまずの結果とクラブ情報で報道されていました。さらに、クラブ全体のこのシーズンの結果は、チームにとってすばらしい結果でした。チェコ1部リーグの16チームの内3位となり、チェコカップでは優勝という結果でした。この結果により、クラブはUFEAカップ(ヨーロッパチャンピオンカップ大会)に出場することになりました。


 

Monday, May 30, 2016

次男の苦しみと悲しみ(16)名門クラブの、「嘘」や「騙し」、「人種差別」や「権利の乱用」の5年間がもたらした影響を抱えながら、新たなスタート

その後、東京マネジメント会社はヴェルディ側と交渉を行い、人材育成金の分割払い方法に関して話を進めていきました。ヴェルディ側は、その分割払い方法には賛成したのですが、支払いについて次男と直接約束を結ぶという厳しい条件をつけてきました。東京マネジメント会社やチェコのクラブと結ぶでもなく、次男自身と約束を結ぶということになったのです。しかし、どうしても移籍したい一心で、仕方なく東京マネジメント会社も次男も私もヴェルディのこの条件に同意しました。同意後、ヴェルディがその支払い約束を正式な文書にし(添付4参照)、次男はそれにサインを行いました。これで、次男が正式にヴェルディからチェコのクラブへ完全移籍することになりました。ヴェルディでの苦しい5年間の生活が、このような形で終わることとなりました。

 15歳という若さで夢と希望を持って、純粋な精神で「田舎」の沖縄を出て、東京ヴェルディと出会ってしまいました。この出会いで、サッカー選手の次男にとって大事な5年間を失ってしまいました。この5年間で、日本とエジプト両方のサッカーの才能を持っている次男は、さまざまな結果を残すはずでした。しかし、実際にはさまざまな悪いことばかりでした。最低な教育を受けさせられたこと、17歳の若さでヨーロッパにプレーするチャンスを逃したこと、怪我を悪化させられたこと、その怪我の治療のために借金ができてしまったこと、実力を証明出来ないよう試合に出場させられなかったこと、ヴェルディから移籍をする際、高い人材育成金の条件を付けられたことなど、悪いことばかりでした。私は、次男がヴェルディで過ごした5年間が、これからの彼の人生にどれくらい影響をもたらすのかと、絶えず心配しています。私は元サッカー選手として、プロサッカー選手になるまでの道のりは平坦ではないという事実はよく認識しています。さらに、プロサッカー選手になった後でも、この道のりはでこぼこであるという事実もよく分かっています。しかし、ヴェルディでの次男の道のりはでこぼこではなく、「嘘」や「騙し」、「人種差別」や「権利の乱用」などの道のりでした。これらのことは一般社会によくあっても、スポーツ界には一切あってはならないことです。


2009年シーズン


2009年2月、次男はチェコの1部リーグの「FKテプリツェ」というクラブへ完全移籍のため、チェコに向いました。FKテプリツェへ移籍後、マスコミの報道によると、次男は試合に出場し、チームの勝利に貢献していました。離れた日本にいる私達家族は喜びながらも、まだ二十歳になったばかりの次男が、生まれ育った日本と全く違う環境でどう向き合っていくのか、若干気になっていました。

ずっと次男がプレーしている姿を見たかった私は、直接プレーしている姿を見るため3月27日から4月7日までの11日間の日程で、1人でチェコへ向かいました。ちょうどその時、ヨーロッパ各国でのサッカーリーグの後半が始まったばかりでした。

 「FKテプリツェ」というクラブは、東ヨーロッパのチェコ共和国のクラブです。首都「プラハ」よりバスで約1時間の離れた「テプリツェ」という小さな田舎町に位置しています。私はこの小さな町に着いてから、クラブのホームスタジアムを拝見させていただき、チームの監督やマネージャーや選手たちと対面することが出来ました。大変心の温まる雰囲気を感じました。さらに、町を案内していただきながら、FKテプリツェというクラブが地元民にとって、名門のクラブだと感じました。また、クラブの責任者からクラブの方針などの具体的な説明を受けました。このクラブはサッカープロチームを2チーム持っており、1つのAチームは、チェコ1部リーグに加盟し完全なプロなチームで、もう1つのBチームは、チェコの4部リーグに加盟して、プロを育成するためのチームでした。私はこの町にいる間は、リーグの後半が始まったばかりでしたが、両チームの2試合ずつを拝見させていただきました。確かに、完全プロの1部リーグのAチームは、レベルの高い選手たちでサッカーのビジョンを持っているチームだという印象を受けました。一方、プロを育成するための4部リーグのBチームは非常に反則や荒いプレーが多く、まさに「アメリカンフットボール」のようなサッカーでした。次男はリーグの後半が始まったからAチームの試合に途中出場し、チームの勝利に貢献しました。さらに、私がいる間に行われたAチームの2試合にも途中出場をし、活躍していました。私がテプリツェの町にいる間、次男が楽しくプレーする姿を久しぶりに見ることができ、次男がサッカーをやっている環境や生活環境などを確認することが出来ました。次男はすでにこの小さな町の人々の愛情に囲まれているような感じを受けました。おもしろいことに、次男のことをその当時ブラジル代表で有名なストライカー「ロナウジーニョ」の名を付けて「日本ロナウジーニョ」と、報道されていました。




Sunday, May 29, 2016


次男の苦しみと悲しみ(15)名門クラブの「人材育成金」の詐欺



同じことを私が東京マネジメント会社に話し、ぜひ次男が日本国内でプロ選手としての実績を作るため、日本のリーグのクラブに紹介してくださいと頼みました。その後、東京マネジメント会社は次男の移籍先を探し始めましたが、日本リーグに移籍するのは簡単ではありませんでした。なぜなら、ヴェルディに在籍していた2年間に、プロ選手として1度も正式な試合に出場したことがなかったからです。そしてさらに、ヴェルディから次男が移籍する場合、移籍先のクラブは1,000万円を「人材育成金」として、ヴェルディに払わなければならない、という条件がありました。また、東京マネジメント会社は移籍先を見つかる力がありませんでした。結局、ヴェルディで実績をつくる機会を与えられなかったことで、次男の移籍は困難になりました。その後、東京マネジメント会社とヴェルディの「悪質」なコーチスタッフの方から、以前考えていたヨーロッパで次男をプレーさせることについての話が出てきました。東京マネジメント会社は私に、ヨーロッパへ移籍した場合のメリットとデメリットについて現実的な話しをしてくれました。しかし、東京にいる次男には、強くヨーロッパへの移籍を勧めていました。同じようにヴェルディの「悪質」なコーチスタッフの方も、次男へヨーロッパでのプレーを勧めていました。それで次男は、ヨーロッパでプレーする夢ばかりを見るようになっていました。次男にはユース時代の時の実績がありましたが、この実績だけでヨーロッパで次男を受け入れてくれるクラブがあるのか、不安に思いました。また、ヴェルディが決めた1,000万円の人材育成金を支払う条件があったことも、心配でした。

結果として、次男が東京マネジメント会社の提案と、ヴェルディの「悪質」なコーチスタッフの方の説得を信じて、希望と夢を持ちながら、移籍先不明のままヨーロッパへ旅立つことになりました。

まず、次男が最初に行ったのはポルトガルで、これは東京マネジメント会社の紹介でした。ポルトガルの1部リーグの有名なクラブの練習に、1週間参加することができ、クラブが次男の実力を認め年俸約400万円のオファーを出してくれました。しかし、ヴェルディが求めた人材育成金1,000万円の支払いを断られてしまいました。仕方なく、次男は東京マネジメント会社の指示のもと、ポルトガルを去り東ヨーロッパのチェコに向いました。

チェコでも、1部リーグのクラブの練習へ参加するようになりました。東京マネジメント会社の話によると、このチェコのクラブチームは西ヨーロッパのさまざまなクラブチームから多くの選手をスカウトされている実績があることから、もし次男がこのクラブに入ってプレーすることができれば、西ヨーロッパのクラブに移籍するチャンスを得られるという話でした。チェコのクラブでの練習参加後、クラブ監督の要求により、次男はチームのトルコの冬キャンプに1週間同行することになりました。トルコの冬キャンプでは、次男の実力が認められクラブが年俸約400万円のオファーを出してくれました。しかし、ヴェルディが求めた人材育成金1,000万円の支払いはあまりにも高すぎるということで、クラブ側が次男を獲得するために、人材育成金の1,000万円の70%を負担し、残りの30%を次男の負担にするという提案を出しました。この提案に、東京マネジメント会社が次男の正式代理人として同意しました。これで、次男はチェコの1部リーグの「FKテプリツェ」というクラブと、2009年2月1日から2年半のプロ契約をサインすることになりました。その直後、東京マネジメント会社から私にヴェルディの人材育成金の支払いのことで相談がありました。それは、次男の負担分になっている30%(約300万円)をどうやってヴェルディに支払うかということでした。当時は、次男が東京マネジメント会社に立て替えてもらっていたイタリアでの治療費の返済中でしたので、私にも次男本人にもヴェルディに支払うための金銭的な余裕がありませんでした。そのことを踏まえて、東京マネジメント会社がチェコのクラブの負担分70%を預かって、それを会社側からヴェルディに一括払いするではなく、1年半かけて分割払いにするという提案を出してきました。1年半後には、次男自身が残りの30%を支払うことができるようになっていることを見越しての提案で、この提案をヴェルディ側に伝え交渉をする、という話に、次男も私も同意する以外の方法はありませんでした。




Saturday, May 28, 2016


次男の苦しみと悲しみ(14)名門クラブの「悪質計画」とその影響


2008年シーズンは、ヴェルディにとって最悪の結果で終ってしまいました。次男はこの時成人を迎えましたが、ヴェルディで味わった「人種的差別」や「不公平な扱い方」などにより、大変苦しいシーズンとなりました。2009年1月31日には、次男とヴェルディとの契約が満了になります。しかしその前に、2008年12月下旬にヴェルディから、次男との契約を更新したいという話しが出てきました。契約更新の内容は、次男の年俸を30%アップさせ、360万円から480万円にする、というオファーでした(添付3参照)。私はこの内容を聞いて、またヴェルディの新たな「疑惑」の行動が始まると思いました。なぜなら、次男はプロになってから2つのシーズンが過ぎましたが、その間に正式な試合に1分も出場する機会を与えられず、実績を残すことができませんでした。それなのに、どうしてヴェルディが次男との契約更新を希望し、そしてさらに年俸を30%アップさせるのでしょうか。私はヴェルディのこの行動に、もしかするとヴェルディが2008年シーズンで次男を正式な試合に1分も出場させないことは「計画的」なことだったのではないかと考えるようになりました。このような考えに至るまでに、次の3つの出来事がありました。

まず1つ目ですが、2006年3月にオランダのアヤックスクラブが次男にオファーをしてきた時のことです。そのとき、ヴェルディ側の理由によりこのオファーはだめになり、ヨーロッパでプレーする次男の夢を実現するチャンスを逃す結果となってしまいました。

そして2つ目ですが、2008年シーズンが始まる前に、ヴェルディと次男との約束内容についてです。その約束の内容としては、もし、万が一シーズンの半ばごろ(7、8月)までに次男に試合の出番がなかった場合、ヴェルディ側より他のチームを紹介しレンタル移籍をさせる、というものでした。しかし、その約束をヴェルディは守ってくれませんでした。

最後の3つ目についてですが、当時イタリアのセリエAで活躍していた元ヴェルディの若手選手のことです。この選手は次男の親友でもあり、先輩でもあります。この選手がヴェルディからイタリアへ移籍する際、ヴェルディは大反対していました。しかし、この選手の家族とヴェルディとの間で激しい口論が起こり、友好的ではない雰囲気で移籍していました。この選手がイタリアへ移籍した後も、次男は彼と情報交換を行い、時には彼からアドバイスをいただいたりしていました。このような2人の関係を、ヴェルディの責任者はよく知っていました。なので、ヴェルディとしてはこの選手と同じように次男は移籍されることを恐れているようでした。

これら3つの出来事から、2008年シーズンにヴェルディが次男を正式な試合に出場させなかったことは「計画的」であったのではと考えるに至りました。もし、次男が正式な試合に出場し活躍した場合、他のチームから声がかかり、ヴェルディから移籍してしまう可能性が高くなります。それを防ぐためにヴェルディが次男を正式な試合に出場をさせなかったのではないかと思いましたし、このようなやり方はヴェルディでは珍しくないことを私は確信しています。なぜなら、ヴェルディと関わって約5年の間に、似たようなことが多々あったからです。

成人したばかりの次男は、ヴェルディとの契約更新を断りました。若手選手である次男にとって大事なことは、契約金よりも何よりも試合に出場することでした。その希望と夢はヴェルディでは、いくら頑張って努力しても実現出来ませんでした。なので次男は、本気で「愛する」ヴェルディとの契約を終えて、自分の夢を実現できる場に移籍を考え始めました。そして、移籍先を見つけるためには、正式代理人である東京マネジメント会社に頼るしかありませんでした。私は次男へ移籍についてこうアドバイスしました。「移籍するならまず日本国内のクラブへ移籍しなさい。お前はプロになってからまだ日本リーグで実績がない。だからヨーロッパへの移籍は難しい。」


Friday, May 27, 2016


次男の苦しみと悲しみ(13)これは、名門クラブの監督とマネジメントの「哲学」


リーグが残り4試合になると、ヴェルディが4試合の内最低限として2試合を勝たないとJ2に落ちる状況に置かれました。ヴェルディにとってブラジル人選手の中でも一番大事な中盤の選手が、ついに警告(イエローカード)を4枚もらっていたので、リーグの2試合を欠場となりました。しかし、この選手が残り4試合中2試合を欠場しても、あとの2試合には出場することができるためヴェルディの残留争いでは十分戦えるはずでした。しかしこの時期に、リーグ戦と同時に天皇杯の試合も行われました。本来ならばリーグの残留争いの状況に置かれたヴェルディにとって、天皇杯の試合よりもリーグの試合の方が大事でした。しかしこの監督は、天皇杯の試合にブラジル人の大事な選手を出してしまいました。天皇杯に出場したブラジル人選手はまたさらに「レッドカード」をもらい、退場となりました。天皇杯の試合のレッドカードにより2試合が欠場となり、リーグの試合では4枚警告(イエローカード)で2試合を欠場、併せるとこのブラジル人選手は4試合の欠場となってしまいました。結局、残留争いの残り4試合全てに、この一番大事なブラジル人選手が欠場することになってしまったのです。なぜ、大事なリーグの残留争いの立場に置かれたチームの監督が、そこまで大事ではない天皇杯の試合に補欠の選手や若手選手を出さず、一番大事な選手を出してしまったのでしょうか。

11月29日に、残留争いの4試合の内1つ目の試合がありました。相手は横浜FMでした。その試合の前々日に、ヴェルディの練習で紅白戦が行われましたが、次男はどちらのチームにも入っていませんでした。紅白戦後、次男のことを気にしていたヴェルディのあるコーチスタッフの方が、次男を慰めるため「今のチームの状況が悪いから、お前は紅白戦にも出せない」と話したそうです。しかし、試合当日の11月29日になると、4ヵ月間怪我をしていた選手がベンチ入りの18人の選手の1人に入っており、試合の後半15分にも出場していました。この選手は、7月26日の磐田戦で怪我をしてしまったのですが、この怪我以来、試合には出場していませんでした。なぜ、監督は試合感覚のない選手を残留争いの大事な試合に出したのでしょうか。

リーグの最終戦は12月6日に行われた川崎との試合でした。この試合中、ヴェルディの監督が相手にとって一番厄介なヴェルディの攻めの選手を引いて、代わりに中盤の選手を入れました。この行動の結果により、ヴェルディはJ2に落ちることが確定してしまいました。その最終戦の後、監督はロッカールームで泣きながら選手たちに「J2に落ちたのは神様が決めた運命だ」と、話しました。2008年シーズンでは、J2へ降格という結果になってしまいました。

サッカーでよく言われていることですが、どの監督でも自分の哲学や考え方を持っており、その監督自身の哲学や考え方を評価する一番の方法として、結果を出す以外の方法はありません。2008年シーズンの結果を踏まえてみると、当時のヴェルディの監督が選手の「実力」を無視し、自分の「好み」や「立場の強い人」に言われたことで物事を判断し、「人種差別的な考え」を行う監督であることが明らかになりました。

一方、この監督と同時にヴェルディを運営していた「フロント」についてですが、ヴェルディがJ2に落ちたことは監督だけの責任ではありません。監督と共にチームを運営していた「フロント」のさまざまな行動を体験した私は、この「フロント」にも責任があると感じました。なぜ、「フロント」がリーグ中に監督の相次ぐ誤った判断を正しくしてくれなかったのか。なぜ、「フロント」がヴェルディの将来のために、監督に正しいチーム作りの方法を指導しなかったのか。もし「フロント」がこの指導を監督に行っていたにも関わらず監督が聞かなかったのであれば、なぜ「フロンと」がこの監督を解雇しなかったのか。監督1人の責任ではなく、運営の「フロント」側にも大きな責任があるのではないかという印象を受けました。当時の東京ヴェルディは、組織的に大きな問題を抱えているという強い印象を受けました。